六条天皇の生母に関連して、若干の補足をしておきます。

 

その父・伊岐某は、大蔵大輔という官職を得ており、また、左大臣藤原実能(徳大寺家の祖)の家司を務めていたようなので、下級貴族ではあったのでしょうが、堂上家ではありません。古代の天皇を除き、生母が皇族出身でも堂上家出身でもない天皇は、六条天皇の他に、北朝5代後円融天皇、103代後土御門天皇、119代光格天皇がおりますが、光格天皇以外の天皇の生母はいずれも堂上公卿の養女となっています。光格天皇の父は、閑院宮典仁親王で、天皇ではありませんから、ここからも六条天皇の異例ぶりが際立ちます。

 

身分が低かったとはいえ、仮にも天皇の実母の名前が不明であるというのは、当時は女性の諱を公にすることは例外的であったとはいえ、奇異にすら感じられます。この天皇がいかに軽視(ないし無視)されていたかが伺われ、なんともお気の毒です。

 

ちなみに、光格天皇の生母の名前は大江磐代といいますが、その父は下級貴族ですらなく、鳥取藩の家老の元家臣で、武士の身分を捨てて医者となった岩室宗賢という人物です。