楠永神社(くすながじんじゃ) | 浪風谷本

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楠永神社(くすながじんじゃ)

大阪市西区にある神社。江戸時代、北浜にあった海産物市場が同地に移転。人工的に作られた永代浜が船溜まりとなり、海産物の荷揚場として栄えた。当社の神木とされる楠はその時からあったとされる。昭和3年(1928年)12月、川岸の石垣工事中、楠の樹根から大きな白蛇が出てきたため、元の場所に埋め戻したが、それを伝え聞いた人々が多数参拝するようになった為、付近の有志者が樹の下に小祠を作り、楠永大神、楠玉大神を合祀するに至った。神社の名前は楠と永代浜から取ったとされる。

 

 

なにわ筋沿い、靭公園の真ん中に鎮座しています。

このように見ると、戦時中靭公園が滑走路として使用されていたことが分かります。

 

北側、公園の中はこんなかんじです。

 

 

後ろに、立派な楠が見えます。

 

「靭海産物市場跡」

 

靭海産物市場跡

江戸時代、この地には、干物(ひもの)や塩魚(しおざかな)、鰹節(かつおぶし)など、生魚以外の海産物を売り買いする市場がありました。

豊臣時代には、海産物の市場はひとつで、今の北浜のあたりにありましたが、江戸時代のはじめ、元和四年(一六一八)には、生魚と、干物などを扱う市場に分かれて、生魚の市場が本町のあたりに移りました。元和八年(一六二二)には、干物などを扱う市場も、ここ靭の地に移ってきました。

寛永元年(一六二四)には、海部堀川(かいふほりかわ)という水路が開かれました。その時に人工的につくられた永代浜(えいたいはま)が、荷あげ用の岸として使われるようになると、取引の量も増えて市場も広がり、江戸時代を通して栄えました。

 

大阪市教育委員会

 

 

永代浜跡

靭公園のこの付近一帯は江戸時代以来昆布、塩干魚、解節など海産物の市場として靭の中心をなしていた。

これらの商人が荷揚げの便をよくするために寬永元年(一六二四)海部堀川を開削し、阿波堀川とこの川をつなぐ永代堀の屈折点を永代浜と称し、海産物の荷揚浜として賑わった。

 

南側、こちらは通りに面しています。

 

 

 

「大阪市」が未来永劫愛されるよう、微力ながらこれからも大阪市の魅力を発信し続けます。

 

 

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