今年の大発会に、「戌年始まる」を更新させていただきました。
そう、今年は戌年です。
上記「戌年始まる」にて、1994年を以下のように振り返りました(一部抜粋)。
1994年
・日経平均大発会値16,449.94円大納会19,075.62円(高値21,573.21円安値16,216.82円)
・4月28日羽田孜内閣発足
・5月10日ネルソン・マンデラが南ア共和国初の黒人大統領となる
・6月30日村山富市内閣発足
・7月8日北朝鮮金日成主席死去
・11月8日米国中間選挙において、共和党が40年ぶり勝利
2018年も早6月入りとなりましたが、1994年イベントにどうしても追加したい項目があります。
・ジミーカーター訪朝
・クリントン政権による通商政策
ジミー・カーター訪朝
1994年当時も北朝鮮との軍事衝突の可能性が高まっており、クリントン政権(当時)は北との包括合意交渉を模索していました。
まず米上院議員が2名選出され北へ派遣されることとなりましたが、直前に北側からキャンセル。
北は制裁反対の立場をとっていたジミー・カーター元米大統領を交渉の相手役に指名します。
当初クリントン政権はカーター氏の訪朝には難色を示していましたが、これといった打開策もなかったため最後仕方なくカーター氏の訪朝に同意します。
1994年6月15日、カーター氏はアメリカ大統領経験者として初めて訪朝し金日成主席と会談。
その会談の席で勝手に安保理制裁決議に向けた働きかけ停止を宣言(CNN中継)。
米朝枠組み合意の元になったとはいえ、その合意も結局は2003年に破棄されることとなります。
カーター氏の勇み足により、2017年ついに北はアメリカ本土を対象とした核攻撃計画まで表明するに至っています。
クリントン政権による通商政策
当時通商政策、特に「ドル安政策」といっても、それはほぼ対円でした。
1993年1月20日に就任したビル・クリントン米大統領(当時)は、日米首脳会談のなかで日米貿易不均衡是正を取り上げ、宮沢首相(当時)を相手に円高を希望。
宮沢政権崩壊、細川連立政権誕生を経て円高一服の場面もありましたが、1994年6月28日ついに史上初めてドル円が100円の大台を割り込みました。
二日後に村山内閣が発足したんだなぁ。
東京金はドル円に追随する動きとなり、「泣く子と円高には勝てない」相場となりました。
この円高は翌95年4月19日、当時の戦後変動相場制以降最安値79円75銭を記録するまで続きます。
不思議なことに、上記イベントはどちらも6月に発生しています。
ドル円史上初の100円割れは、W杯アメリカ大会開催期間中のこと。
カーター元大統領による訪朝は、W杯アメリカ大会開催二日前のことです。
今年も米朝会談開催二日後にW杯ロシア大会が開催されるため、24年の時を経たシンクロに少々驚いています。
カーター氏の訪朝を見る限り、アメリカはこの屈辱を忘れていないと思うのですがどうでしょうか。
また明日は日米首脳会談、週末はカナダ・シャルルボアG7が開催されます。
トランプ政権による通商政策の行方に世界が注目します。
気象庁は「近畿と東海、それに関東甲信が梅雨入りしたと見られる」と発表しました。
参拝はお休みです。
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谷本 憲彦
商品アナリスト・東京商品取引所認定(貴金属、石油、農産物、オプション)、証券一種外務員