雨音はレイジの調べ | 透明な濁り Transparent impurity

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早朝。寝落ちした夢から浮上すれば、溺れる前と同じく雨が降っていた。もちろん厳密に言えば雨の量も強さも別物なのだろうが、ずっと雨粒が空から降り続け、アスファルトに叩きつけられ続けていたことだけは確かだろう。久しぶりに天気予報が仕事を果たしている気がする。

雨音はショパンの調べという曲があるけれど、きっとあの曲が流行した時代は現在よりも悲しみが悲しみとしてシンプルに機能していたのだろうなと思った。寝落ちする前に、うっすらとだけ保たれていた意識で金曜日恒例になった首相官邸前のデモの様子を映像で見たけれど、あそこに降る雨はショパンの調べなんかではなかったはずだ。


誰もが怒っている。そんな時代があったのだそうだが、思うにそれは、誰しもが怒っているように感じていた時代があっただけで、本当の意味で誰しもが怒っていたわけではない。当たり前の話であるが、怒る方と怒られる方という立場がある以上、その怒りが同質であるわけがないし、そもそも怒れないタイプの人は存在するのだから、誰もがではない。


でも、官邸前に集まった人は全てではないにしても現在の政府の指針に怒りを覚えていたのだと思う。一過性のムーブメント(そもそもムーブメントが一過性でないことのほうが珍しいと思うのだが)ではなく、政治がろくでもないから自分たちが行動するという意味ではあれは確かな怒りなのだろう。


ある人は言う。代案なき怒りはただの負け犬の遠吠えであると。わかったふりをして遠吠えもしない奴よりはよっぽど俺は吠える方が良いと思う。犬が吠えるというバンドが好きだったことを思い出した。アルバム一枚、シングル一枚出さずに解散したが。


レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンにしろ、ブルース・スプリングスティーンにしろ、ニール・ヤングにしろ、システム・オブ・ア・ダウンにしろ、海外のバンドは自分の思想、政治に対するメッセージを歌にして伝えようとする。日本のロックバンドと呼ばれるバンドでそんなことを本当にやっている人はどれだけいるのだろうか。

もちろん、メッセージ性の高い詩を歌えば偉いとか、そういう話ではない。そういう次元の話をしているつもりはない。単純に、世に流れる(いや、JASRACの取り立てを恐れて、タイアップ付きの音楽以外はもはや街には流れないけれどもさ)音楽でそういう言葉を持った曲が少ないということに自分はげんなりする。



今、雨音を自分はレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンの音楽と共に聴いている。ただ淡々と降り注ぎ、そこにザック・デ・ラ・ロッチャのアジテートが響いている。朝、自分の中に怒りはあるだろうか。自分のための怒りだけはない怒りが。