私は、22歳で大学卒業後を信販会社に入社した。
その後、25歳で司法書士試験挑戦を決めて、信販会社を退社して実家に戻った。
アルバイトと勉強をしながら、
26歳の時に初めて司法書士試験に挑むも、不合格。
その後、27歳、28歳、29歳と実家の近くの司法書士事務所に勤務し、司法書士試験に挑戦するも
合格レベルに全く届かない・・。
30代になってからはもっと過酷だった。
周りの友達は、結婚して家庭を作り、子供もいる。
33歳の私の給料は、約17万円。手取りで約13万円。
合格できるイメージは、全く掴めていなかった。
年齢とともに上がっていく友達との会話にもついていけない。
次第にその環境から逃げていく自分がいた。
親や家族にすら本当のことを話せない。
自分の現状が、恥ずかしくて情けなかった。
本当は、自分の挑戦を心から応援してくれる人はいたのに・・・
そして支えてくれる人はたくさんいたのに・・・
私自身は、そこに気づくことはできずに、勝手に「社会から疎外感」を感じていた。
今日は京都アニメーション放火殺人事件の判決があった。
青葉被告の犯行動機である、
- 生活困窮からくる『社会からの疎外感』
- 『社会が悪い』『世間が悪い』という責任転嫁
- 『自分の作品が盗用された』という勝手な思い込み
裁判の内容から
被告が、周囲から孤立していった過程が読み取れる。
私自身、同情するつもりは全く無いし、極刑を支持する。
それと別に「社会からの疎外感」を感じていた身として思うのが、
人間にとって大切なことは、「考え方」だと言うこと。
つまり、今の現状にどれだけ「感謝」できるのか?に尽きる。
生かせてもらっていると思えば、身勝手な行動ができる訳がない。
そして「自分の本音」と向き合い、現実を他人のせいにしない生き方こそ、
未来が開けるのだと思う。
『日々、生かせられていることに対する感謝』
『自分にも絶対にできる!という確信』
この両方の「考え方」こそ、人間形成の上で大切なことだと感じた。
改めて、京都アニメーション放火殺人事件で、志半ばで亡くなった被害者のご冥福をお祈りいたします。
そして遺族の方にとって、今日という日が一つの区切りになってもらえることを切に願います。