遠野物語拾遺retold

ゆっくりと読み進めております。


沢山ある話の中で、


遠野では12月は年取り行事が

行われるとあり、

薬師様や大黒様や稲荷様などの

神様たちが年を取るのと共に、

人間も年をとるのだそうです。



そう、


生まれた日で年を取るのではなく

年取りの行事を迎える事で年を取るのです。


そんな年取りの行事の話の中のひとつ、

第二七九話では正月は女の年取りとあります。


それと共にこの日は、

道具も年をとる日でもあるらしいです。


そのため、

近所に貸していた道具は

一旦返してもらい、

家の中に揃えてから餅を供えるのだそうです。


こういうのを読むと、

ああ、日本人ていいなあと改めて感じます。


こういう行事を繰り返し、

毎年道具が年を取っていき、

100年経つと付喪神と呼ばれる

様になるんだよ、


だから全ての物には神様が宿っているんだよ、


だから物は大事にしなきゃならないんだよ、


と言う精神が培われるていくんだなあと思います。


この感覚をせめて

自分の子供たちぐらいには

伝えて行きたいなと思うんだけど、


今の物質過剰供給の時代では

難しいのかなとも思います。


物があり余れば

そりゃ大切にする気持ちも薄れるわな。

飲食店とかでいくと、

ロスありきの値段設定とかね。


設定する時点で既に捨てることが

決められてるじゃないか。


もったいない。


そうですよ、

たまにはこんな真面目なことを

考えたりもするんですよ。


やはり本を読むと色々触発されるからいいね。


みなさん、本を読みましょう。


しかし、本を読むと言って思い出した。


以前、20代の若い子と話してて

目から鱗がぼとりと落ちた事があります。


自分が本を読むときは、

その世界にどっぷりと浸かりたいから

出来るだけ話しかけて欲しくないのですが、


その子の感覚では、

本を読んでいる人はよっぽど暇でしょうがないから本を読んでるので、話しかけてあげなきゃ可哀想だと思うらしいのです。


ああ、主観の相違とはこの事だと

はっきり認識させられたいい経験です。


取り敢えず、私が本を読んでる時は

どうかそっとしてあげてて下さい。


頭の中でめくるめく世界が広がっていますので。