制服か私服か

日々報じられる櫻の開花情況は次第に近寄ってくる春の足音を連想させる。この季節になると、大方の人々の脳裏に浮かぶのは、入学式や入社式の緊張と希望とが入り混じったピント張り詰めた。

当時の雰囲気だろう。

先ごろメディアが大々的に報じたのは、この季節だからこそ人々の注目を浴びた不祥事、新入生が入学式に着用するはずの制服に関しての騒動、ある地方都市で、新入生の親たちが入学式にまにあうようにと、早々と業者に発注し、代金も支払い、約束の期日までには制服が手元に届くはずだと信じていたにもかかわらず、入学式の直前になっても制服が間に合わないことが判明し、パニックになった親たちが業者側に押し寄せ、収集つかぬ状態が続いている、とのこと。

本来ならば、このようなニュースを耳にしたら、親たちに同情するのだろうが、個人的にはこの親たちに素直に同情する気にはなれなかった。

率直に私自身の感想を言わせてもらえば、まるで一昔も以前のビデオを見たように感じたのだ。

時代は変わったはずなのに、

未だに制服着用を校則に明記してもらいたいと望む親たちの存在だ。今現在の空気を吸って成長してきた当事者たちが果たして制服着用というしばりに唯々諾々として従うのだろうか?彼らは成長の過程で自己主張とか自分自身の意見とか価値観とかを最重要視する習慣を学習してきたのではなかったのだろうか?

しかし情けないことに、親たちが制服着用に固執する理由は、いたって現実的かつ安直な考えなのだ。毎朝、着用する服装に悩む必要が無い、昨日脱ぎ捨てた服をそのまま着用すればよいのだ。よごれたままであってもしわくちゃであっても制服は制服文句を言われる心配は皆無なのだ。

一方で私服での登校を望む親や子供たちは、私服ならわざわざ経済的な出費を支払い制服を準備せずとも手持ちの物を着用し、時々新品を追加すればよしと安易に考えている。ところが、いざ実際問題となると、親子ともども想定外の問題に直面することになる。特に女子校の場合、友人たちのチェックになやまされることになる。センスが悪い、ダサいとか、何度も同じ服を着ている、とか、そのような私服で登校を認められていても、親子ともどもせっかく与えられた自由を享受することなく。安易な制服制度を支持するようになる。

個人的な考えだが、このような人々の思考回路は非常に危険だと思う。ここでは単に制服か私服かの二者択一だったが、広義に考えれば、全体主義か自由主義、この二者択一を迫られた場合、万一にも人々が指導者の言うままに従っていけばよいと、安易な考えだとすれば、彼らは抵抗なく全体主義を標榜する社会を容認するだろう。せっかく与えらっれた自由の重さを人々が今一度熟考してもらいたい、と。祈るばかりだ。この国の将来が全体主義を目標に掲げることなどは絶対に避けたいと切望する。安易な選択は、制服か私服かの二者選択のような低次元のケースにとどめてもらいたい。できれば日常的に直面する二者選択も慎重に吟味する習慣を身につけたいもの

だ。