ここ数年、あっと言う間に気づいてみたら世の中は激変していた。日常生活から様々の事務手続きなどなど理解不能な動作を求められるのだ。やれQRコードを読め、とかレジではカードをかざすだけで支払いが完了してみたり、プリペードカードなるものにあらかじめ現金を支払っておけば、そのカードを財布の代わりに持ち歩けばよいのだ。このようにだんだんと身の回りから現物が姿を消していくように感じてしまう。やがては自分自身でさえもアバタと化し、自由自在に自分の分身を増殖させることも可能になるかも知れない。こんな妄想をたくましくする程度の知識しか持ち合わせていない私なのだが、さすがに不安をかんじざるをえなかったのだ。このままでは近い将来、私の居場所が無くなってしまう、何とかせねば。そうだ、まず第一歩として、スマホを手に入れよう。この第一歩が政府がくどいほど国民に要求してきた自助努力なのだろう;これで私だって落ちこぼれとか情報弱者などと言う汚名を払拭できるはずだ。
だが。現実はそれほど甘くはなかったのだ。
これまで生きてきた大部分の歳月をアナログ社会しか経験してこなかった高齢者が始めて手にした魔法のツール、それをどうやって使うのか、理解できると考えるほうが見通しが甘すぎる。
共助といわれても、独居老人がそんなにやすやすと身の回りにスマホを使いこなせるよう親身に教えてくれる人など見つけるだけでも困難だろう、そんな恵まれた環境に暮らしている高齢者はレア中のレアなケースだろう。
では公助とやらは期待できるのだろうか。残念ながら、現時点では全く期待できない、空念仏のようなものだと思う。
万が一にも、高齢者を落ちこぼれないよう救い上げたとしても、高齢者が視覚障害だとしたら、全くのお手上げ状態なのだ。
残念ながら、現時点では、見えない、読めないものを見えたり、読めたりする画期的なツールが開発されたとかのニュースが報じられたことは無いのだ。
IT関連のテクノロジーをもってすれば不可能なことなどない、とばかり胸を張る先端技術を支える先生方が、せめてその知能の一部を世の視覚障害者のために費やしていただければ、知りたい情報を自分で調べることもかのうとなり、情報弱者にとっては、未来が明るく希望に満ちたものになるだろうに。残念ながら、真剣に挑戦しようと考える奇特な話を今もって耳にしたことはないのだ。 最先端技術の開発に費やす時間やコストに比べ、万一開発に成功してもマーケットがあまりにも限られているからなのだろう。
昨今の世の中では、何かにつけて, SDGと称すれば免罪符のように自慢するが、一人の落伍者も作らない、と言う目標も含まれていたように思うのだが。。