新たなるライフスタイルがもたらしたのは。。
お茶の間が消滅した。なにもニューノーマルと称されたライフスタイルの出現するはるか昔から消滅が開始されたのである。
戦後まもなく、焦土と化した国土の再建計画の一端として、大型の都営住宅団地が出現した。入居者募集の開始前に、現地の見学が許され、連日、大勢の見学者が訪れ、文化住宅が提唱する初体験の生活様式が見学者たちに与えたカルチャーショックは半端ではなかった。
。
その後、人々の生活レベルが上がるにつれ、大手建設会社が提供する集合住宅、マンションが林立し始め、特に都市部では、地価の高騰とともに、戸建て住宅は次第に姿を消していった。
夢のマイホームとばかり人々の憧れの的となったマンション住まいは、住居の間取りに見合う生活様式に変更せざるをえなかった。このようなマンションの間取りは効率的に設計され、いささかのデッドスペースの存在も回避された。完全に消滅したお茶の間に代わって登場したのはリビングダイニングと称する空間だった。つまり食事をする部屋と居間とを一つの空間にまとめたものだ。必要に応じ、その空間をカーテンで仕切って使うこともできるとのことだった。この合理的であることは認めるが、なんともすわり心地の悪い空間には、もはやお茶の間のような求心力は期待できないのだ。
次に次第に主流となったマンションの間取りは、2LDK
とか3LDKとかいう間取りだった。最初の数字は部屋数を表し、次はリビング ダイニングの略でKはキッチンの略である。つまり、食事をする部屋、居間、その空間に台所がそなえられ、そのほかに独立した部屋が含まれる。これだけでも、最初に出現した文化住宅と比べればはるかに余裕が感じられる間取りだった。
かくしてお茶の間は完全に消滅し、新たなるライフスタイルが定着したのだ。
このようにして普及しはじめた住宅の間取りが人々の意識にもたらした影響とは、
どのような変化だったのだろうか。全くの個人的な見解だが、それは和風から洋風への移行だと言えるのではないだろうか。つまり、伝統的な家族制度に基づく運命共同体、つまり家族の間の濃密なつながりを尊重し、自分自身の家族に対する強い帰属意識、そのような感情が人々の心の支えとなっていた時代から、西欧諸国では当たり前の自我意識、個人主義に人々、特に次世代の人々が共感し始めたのではないかと考える。次世代の人々は一家団欒より、個人で過ごす時間を尊重し、家族同士の濃密なつながりより、ゆるいつながり、たとえばネット上でのつながりを尊重する。
紙の媒体よりネット上の情報を信じ込む、とか、私のような生き残りから見れば、なんとも嘆かわしい風潮におもわれるのだが、これも時代の流れで、流れを逆転させることは不可能なのだ。
ただでさえ、家族の解体が進行している流れに今一層その流れに拍車をかけるのが、政府が推奨するテレワークの普及である。従来ならば、一家の大黒柱と祭り上げられ、常に家族の長としての役割にしばられていた父親がこのテレワークを口実に、恐らくは史上はじめて堂々と個室を確保できることとなったのだ。彼らは仕事と称し、自室に堂々と閉じこもる権利を手にいれたのだ。
ポストコロナに出現するであろう世の中
を思い描くとなんとも殺伐とした感慨にとらわれてしまうのだが。