もしかして
もしかして、この国の指導者たちは類まれなるチャレンジ精神の持ち主なのでは、、
彼らの言動を見聞きしていると、何の確証もないのだが、ふと彼らの思考回路を妄想してみたい欲急に駆られてしまうのだ。
身の程もわきまえず、失礼極まりない私の妄想はさておき、国民の一人として、この難局を無事に乗り切れるか否かは、主導権を掌握されている政治家の方々を信頼してお任せする以外にないのだから、どうか無事に着地できますようにと、心から祈り続けるしかできないのだ。この結果が見えず、しかもあなた任せの状態が延々と続くせいで、人々の上にうっとうしくおおいかぶさっている憂鬱の雲が居座り続けるのかもしれない。
昨今の騒然とした流れの中に暮らしていると、なぜか昔幼かったころに親から聞かされた言い伝えやことわざの類が次々と記憶の表面に浮かび上がってくる。思い出すままに口ずさんでみると、それぞれ意味深く長い年月を経過しても今なおコトバの重みに変わりはないのだ。
たとえば、
二兎を追うものは一兎も得ず。これは、感染症の封じ込めと同時にケイザイも回すというなんとも欲張りでどっちつかずの政策が失敗に終わったとき、おそらく多くの人々がつぶやいたであろうことわざ。
窮鼠猫をかむこれは政権のトップの座に就任したが同時に負の遺産、すなわち、大規模な世界的イベントの開催というなんとも困難きわまりない問題に直面し、国内外からの開催を迫る圧力と感染症の専門家たちからのイベント中止を迫る意見、それらの圧力により、まさに袋小路に追い詰められたこの政治家がついに自身の信念に従って行動しようと決心したときの記者会見などで見せる彼の表情は、まさに以前の彼の頼りなげな表情とは打って変わって目がすわっていた。まさに窮鼠猫をかむ表情だった。
今や彼の目標は、火中の栗を拾いにいくことであり、虎穴に入り、虎子を得ることで、おそらく彼は武者震いしているに違いない。彼は自身の政治生命を賭け大勝負に挑もうとしているのだ、うまくいけば彼は歴史に名を残すであろうし、失敗すれば彼の政治生命はおわる。我に七難八苦を与えたまえ、と神に祈り,圧倒的に優勢な敵軍に戦いを挑んだ昔の武将や、敵は幾万ありとても、、などの勇ましい軍歌に背中を押されて、彼はすっかりその気になっているのでは、、、
こんなことを想像するのは決して愉快なことではない。
一国の舵取りを任された政治家は、周囲の有識者の意見に耳を傾け、冷静に理論的に決断してほしい、これだけが国民の一人としての切なる願望なのだ。