未だ癒えぬ心の傷
おぼろげな記憶を頼りに、今に至る時代の流れをたどってみる。
当時、第二次と称された新内閣が就任した頃は、政府は高齢者も障害者も共に社会に仲間入りする社会、共存共栄の社会を目指す、高齢者も障害者にも雇用の機会を、バリアフリーの社会、などなどと、明るい未来を夢見てしまうような新政府の政策を力説されていたような
ところが、何かトーンが変わったように感じられた。
当時の政府は、経済成長政策に軸足を置くと宣言し、アベノミックス、とかウーマノミクスとかの造語を頻繁に宣伝し、経済成長戦略の第一の矢を放つ、とか政府の熱に浮かされたような攻めの姿勢に戸惑いを感じた国民もいたのでは、と。
もはや共存共栄の社会どころか、一億総活躍の時代だと政府は国民の尻を叩き、もはや専業主婦は恥ずべきだ、のような風潮が世の主流になったような。
そんな中、世界中は正体もよくわからぬ感染症の急速な蔓延に直面し、その封じ込めに必須だった、諸外国との情報の迅速なやり取りによる緊密な協力体制は焦眉の急となった。皮肉なことに、この迅速な情報交換の必要性により図らずも露呈したのはわが国のデジタル化の遅れだった、政府はこのデジタル後進国の汚名を一刻も早く払拭し、デジタル先進国の仲間入りをとの悲願達成へと前のめりだった。素人考えでも、いまだインフラさえ整備されてないのに、あまりにも無謀なと密かに危惧した人々もいたのではないか。
この感染拡大の封じ込めに画期的効果が期待できるとの触れ込みで、当時の首相が記者会見の席で、国民にインストールを要請したのが、新たに開発されたアプリ、通称ココアだった。残念ながら、このアプリは期待されたような成果を挙げることはできなかったのだが、その席上、首相のもらした本音を耳にし、私は自分自身が明らかに取り残される身であることを確信したのだった。曰く、政府が描くデジタル化構想は社会人を対象としている。勿論、スマホを持っていない人々も国民の約二、三割はいることは承知しているが、そのような人々は、自助努力で置き去りにされないよう期待している、と。
どのように自助努力を尽くしてみても、わが身の窮状を訴える声を挙げてみても、その声が届くことは無く、ネット社会への距離は遠ざかるばかり、このままでは通常の社会生活にも支障をきたす世の中がますます現実味を帯びてきたことを痛感しながらこの先進テクノロジーにより視覚障害者にもネットへのアクセスが可能になるようなツールの開発に望みをかけるより他に方法は無いのが現状なのだ。
一人悶々と悪あがきをしていたころ、その危機感が現実のものとして痛感させられたのが、千葉県全体が豪雨により甚大な被害を受けたときの、役所側の情報弱者にたいし、何一つ配慮することもない、無神経なお役所仕事だった。
被災者の住民にとって必要な情報、ライフラインの情報、たとえば、給水箇所、物資の配布場所などなどの詳細は、すべて役所のホームページ参照。。と。被災した住民の中には当然、情報弱者の住民も含まれているはずなのに、彼らに対する配慮は全く感じられなかった。政府は情報弱者は自助努力が足りないから自業自得だと冷たい、このような現実を見せ付けられて、私はますます危機感を覚えずにはいられなかった。
ここは一つ、お年寄り相談窓口に相談してみよう、などと思い立ち、ガイドさんに頼み、近くの相談窓口をおとづれた、
あの、ハザードマップを見たいのですが、見られないんですけど。
係りの人、
あなたのお名前と住所は。。
住所と名前をメモする。
しばらくお待ちください、とメモを持ち、事務所のなかへ。
やや待たせた後、現れた係り。。
ねえ、あなた
そんな余計なことなんか考えなくてもいいのよ。
安心してお家にお帰りなさい。と。
あれ、何故、マップをみるのが余計なことなのか。。
安心しろ、とは何を安心するのか。。。
係りの本音は、面倒なことを訴えて来た盲人、しかも高齢者なんか体よく厄介払いしよう、と考えたに相違ない。
ボケ老人だと思われても、おそらくそれが世間の人々の一般的な視線なのだろうと納得せざるを得なかったのだ。
自分自身ではまだまだ一人の人格だとがんばってきたのだが、他人からみれば、たわごとを言い募るボケ老人、まともに相手にするな、いい加減にあしらっておけ、ぐらいに思われているのだろう。
おとしより相談窓口と名乗りながら、たまにおとづれる高齢者に対しては、バカ丁寧な、慇懃無礼な応対で、早々と厄介払い、高齢者の家族に対しては介護プランの相談に乗る。お年寄り相談窓口と名乗りながら、その実態は全くお年寄りを差し置いて介護の相談窓口だったのか、と納得。もはや年寄りは存在理由を全否定された心境なのだ。
相談窓口とは称していても、高齢者の様々な悩みに寄り添ってくれるような応対を期待するほうが愚かだったのだ。世の人々は忙しい。年寄りの相手をする暇も無いのだろう。年寄りは同情ではなく、理解してもらいたいと密かにねがっているのだが。