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愛用の卓上日めくりカレンダーも残りの枚数が数えられるほどになってしまった。。手遅れにならぬうちに、来年用を発注せねば、と気づく、
思えばこれと同じシリーズに執着して愛用しだしたのはかれこれ何年以前のことだったのだろうか。少なくとも二十年ほど昔のことだったと思う。当時はまだ日本も敗戦から完全に脱却したとはいえない状態だった。為替レートも一ドル三百六十円辺りにとどまっており、外国に品物を発注するなど、個人では手に負えないほど厄介なことだったように記憶している。当時はまだインターネットなど存在しなかった。そこでわざわざ銀座の伊東屋に頼み、発注してもらった。その際、為替レートのせいで、実際の請求金額がいくらになるかは不明だ、と念を押された記憶がある。今のように、アマゾンでポッチとするだけで、世界中何処からでもほしいものが手に入る時代では考えられぬほど世界は広かったのだ。
そもそもこのカレンダーは、世界各地から、猫愛好家たちが、猫のベストショットを投稿し、発行元の審査員が審査の結果、パスした写真を採用し、一年分の日めくりカレンダーが完成するのだ。
毎朝、真っ先にカレンダーを一枚めくり、真新しい写真に出会い、その写真に写る猫たちに関する投稿者のコメントを読むのが毎朝の楽しみでもあり、長年のルーティなのだ。
最近では日本でも様々なニャンコカレンダーが発売されているのだが、外国製と日本製では明らかな違いがあるのだ。
日本の猫愛好家たちは、ペットとしての猫に対し、かわいさだけに注目し、器量がイマイチなら、見向きもしない。その上、人間は飼い主であり、猫は飼われているペットでしかないのだ。
一方、西欧諸国では、人間は飼い主ではなく、猫と人間の関係はあくまでも対等なのだ。
そのため、偶然助けを求め泣き喚く捨て猫を見つけ、救い上げた猫が障害があろうとも、器量が悪かろうと、ためらうことなく
家に連れ帰り、手当てをしてやり、大切な同居人として受け入れる。つまり、人間と猫は、同等であり、人間は自分自身のことを飼い主だとは絶対に表現しない。人間はあくまでも人間であり、猫は飼われているペットではなく、人間にとって大切s同居人なのだ。
このように、西側諸国の人々には、代々受け継がれてきた文化があるため、そのような理念が身についた人々だからこそ、家畜の飼育に際しての基準として、アニマルウエルフェアが提言去れたのだろう;残念ながら、そのような理念は日本人には思いもつかなかったであろう、
二本での無理解を示す恥ずべき例として、関西の鶏卵組合が、この基準が導入されると利益が出ないからと、日本ではこの基準を適用しないようにと政治家に賄賂を贈り、有罪になった事件があった。彼らは鶏を卵を産む道具ぐらいにしか見ていないのだ。このような家畜飼育業者が家畜に対する見方を改めるのは何時になるのだろ。
全く恥ずべき話である。