無為も有用
無為の意味を何もしない状態のことを意味するとしたら、なにもせずにぼんやりと時間を費やすその行為こそせかせかと動き回って時間を費やすより何倍もの有益な時間なのだと最近になって気づいたのだ。
寝転がってぼんやりしていると、徐徐にガス欠状態から抜け出し、気力が充実してくるように感じる。他人から見ればうとうとしているように見えるかもしれない
だが、実際はキャパがオーバー状態だった
頭が休息したおかげで、すっかり気力を取り戻し、意欲満々な状態なのだが、あと少しの間、ぼんやりしながら、最近の話題について、いろいろと深堀してみたり、異なる角度からその話題について想像をめぐらす。
このように、自由自在に想像力を遊ばせる習慣が身についていると、様々な問題に直面した際に、無批判に世の流れに追従することなく、一歩立ち止まり、客観的な見地から自身の見解を見出すことが可能になるのではないか、と。
とかく最近の巷の人々の思考回路は、短絡的で、ややもすると、同調圧力を無視できるだけの自信が足りないように思うのだが、杞憂であることを祈るばかりである。
ところで一つ不思議なことは、自由自在に想像を膨らませたり、妄想の世界に心を開放することが可能となるのは、寝転んでごろごろした状態に限るので、
たとえば、イスに腰掛け、机に向かった状態では、このような妄想を膨らますことなど、絶対に不可能なのだ。おそらく、イスに腰掛け、机に向かった状態では、周囲すべてがあまりにも現実的であり、そのリアルさが、全ての妄想の世界より圧倒的に強力な支配力を行使しているのかもしれない。