ウンスの診療事件簿 2【猫編②】 | 壺中之天地 ~ シンイの世界にて

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韓国ドラマ【信義】の二次小説を書いています

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《2024年1月19日改定》


王宮から歩いて半時辰(約一時間)馬で駆ければ一刻(約十五分)程の、閑静な通りにヨンの生家がある。

ヨンの父が亡くなり、ヨン自身も赤月隊に入ってしまうと屋敷は誰も住む者がいなくなり、長い間その扉を閉ざしていた。

ヨンとウンスは婚姻後、晴れてその屋敷の主人となり、新婚生活を送っている。

もちろんテマンも一緒だ。

 

ヨンは毎朝屋敷から王宮へ出仕していき、ウンスは家を護る。

高麗で十の指に入るほどの名家であるチェ家の屋敷は、流石というべき立派な構えだったが、暫く空き家だったことで少々修繕が必要だった。

連日入れ替わり立ち替わり人夫が出入りし、とんかんとんかんと木槌の音が鳴り響く。

皆が忙しく働く中、ウンスはひとり縁側でのんびりとその音を聞いていたが、やがて立ち上がると厨房へ向かった。

 

「スミさん」

 

「奥方さま」

 

機敏な動きで振り向いたのは、スミというこの家の住み込みの女中だ。

高麗の事情に疎いウンスの為に、叔母であるチェ尚宮が雇い入れてくれた女である。

歳は四十二、もと王宮の女官でチェ尚宮の部下だったらしい。

このスミがまた有能で、家事全般をそつなくこなし、気も良くつく。

おまけに情報通だ。

初めの頃、ウンスも家事を手伝おうとしたが・・・すぐに諦めた。

邪魔にしかならないからだ。

 

「そろそろ大工さんたちにお茶でも持って行こうかしら」

 

「ありがとうございます。

ではお願いしてもよろしいでしょうか?」

 

卓の上にはちゃんとお茶と茶菓子が用意してある。

両班の奥方がする事ではないのだろうが、暇を持て余したウンスの唯一の仕事を尊重してくれているのだ。

ウンスはそのお茶を運び、束の間、大工たちの話を聞き時間を潰すのが日課になっていた。

 

三食昼寝つき

有閑マダム

セレブ妻

 

憧れてた生活とはいえ、暇なのがこんなに辛いとは…。

ウンスの目下の悩みは、修繕が終わって大工が来なくなったら何をすればいいのか、という事である…冗談ではなく。

こんな恵まれた生活を送っておきながら、日毎に焦燥感が募るなんて、心底貧乏性なのだろう。

 

 

ある朝のことである。

とうとう耐えきれなくなったウンスは、出仕前のヨンを捕まえ、復職したいと訴えた。

 

「なぜです。 

俺の奥方というだけでは不服ですか」

 

当然ウンスが屋敷にいるものだと思っていたヨンは、あからさまに不快感をあらわにした。

 

「そういうわけじゃないの。 

ここにはお手伝いの人もいて、私のやることは何もないのよ。 

あなたが帰ってくるのはいつも遅いしさ…」

 

上目遣いで見てみるが、僅かに片眉が上がっただけで、渋面を作ったまま押し黙っている。

だが、ここで引くわけにはいかない。

 

「父が昔から良く言ってたんだけど、私、言葉も喋れない頃から病院の先生の聴診器を欲しがって困らせたらしいの。

きっと生まれた時から医者になるって思ってたのね…。

あなたもそうでしょう?

誰に言われた訳でも無く、武士を選んだんだもの…きっと生まれた時から一生剣を持つ運命なのよね。

そういうのを、天、職って言うらしいわよ」

 

ヨンは何か言いたそうに口を開きかけたが、また固く閉ざした。

まるでその口の固さが決意の固さであると言わんばかりに。

 

(天、ってワードが効くと思ったんだけど…だめか)

 

昔、武士を辞めて漁師になりたいと言っていた前科を持つ男だから、異論でもあるのかもしれない。

ウンスは声を和らげた。

 

「もちろん…今まで通り、って言ってるわけじゃないの。

ちゃんと家庭と両立させるつもりだし、あなたを優先する。

もし赤ちゃんが出来たら、ちゃんと育休もとるつもりだし、ほんのちょこっーと」

 

「子が……?」

 

ずっと黙っていたヨンが食い気味に反応した。

 

「それなら尚更それどころでは…もしかするともう出来ているやも」

 

「ええっ?そんな、まだよ!」

 

「何故分かる?いつ出来てもおかしくはないでしょう」

 

「そっ…それは…」

 

確かに婚姻してからというもの、ほぼ毎夜褥を共にしている。

帰宅がいくら遅かろうと、可能な限りヨンは妻を抱いた。

彼女が夫の寝不足を心配する程に…。

だから、いつ出来てもおかしくない、とヨンが言うのもわかるのだが、実際のところウンスの月経はとても乱れていた。

高麗に来た時も多少遅れたりとんだりしていたが、百年前に飛ばされてからもっと酷くなった。ストレスからくるホルモンの乱れだろう。

 

「とにかく…分かるのよ、自分の身体なんだから」

 

ウンスの子宮に問題がないことは、現代にいる時に確認済みだ。

だから、不妊症ではないとは思っている。思ってはいるが、乱れたホルモンはすぐに戻るわけではない。

 

「身体と心がまだこの環境に慣れないみたいなの。

もう少し時が経てば、きっと整うと思うんだけど…。

期待させちゃったみたいで、ごめんなさい」

 

ウンスが申し訳なさそうな笑顔をすると、ヨンの理想像はたちまち崩れ落ちたようだった。

 

「イムジャ…」

 

ヨンが手を伸ばしてウンスの頬にそっと触れる。

 

「もちろん子が出来れば嬉しいが、いないならいないでも構わないのです。

俺は貴女がいればそれで十分なのだから」

 

「ヨン……」

 

「俺は貴女が無理をするのでは、と案じただけで…イムジャがどうしても医員の役目を果たしたいと言うならチョナに頼んでみます」

 

そう約束して出仕して行った夫は、ちゃんと王からの許しを貰って帰ってきた。

 

「ありがとう〜!

やっぱり私の旦那さまは最高ね!」

 

喜んで抱きついてくる妻に、夫は満足げな笑みを浮かべた。

だが実のところ、王からも王妃からもまだかまだかとせっつかれていたのというのが事実だ。

それをヨンが渋っていたというわけだが、その事はウンスは知らない。

 

ともあれ、無事職場復帰を果たしたウンスの、この日が初出仕日だった。

 

 

 

 

 

 

「医仙様、そろそろ行かれませんと」

 

後ろに控える武閣士のウォルとヨンシがおずおずと話しかける。

 

「あっ、ごめんなさい、つい懐かしくてのんびりし過ぎちゃったわね」

 

ウンスは慌てて坤成殿へと足を急がせる。

典医寺に復帰する条件は、二日に一回の出仕、そして王妃の回診を受け持つ、というものだった。

いわゆるパートタイム勤務だが、ウンスには十分だった。

 

ウンスが歩き出すと、その後ろにウォルとヨンシがピッタリと張り付く。

彼女たちもあれから4年経ち、すっかりベテランの域に入っている。

以前のように特に狙われているわけでもないので、わざわざ護衛をつける必要もないのだが、チェ尚宮が気を遣って顔見知りの二人をつけてくれたのだ。

 

「悪いわね、私の護衛なんてあなた達の仕事じゃないでしょうに」

 

「いいえ、医仙の護衛を仰せつかった時、私たち嬉しかったのです」

 

「そうです。

医仙様、大護軍様とのご婚姻、本当におめでとうございます」

 

「ありがとう、私もあなたたちにまた会えて嬉しいわ。

これからは友達としても仲良くしましょう。よろしくね」

 

女が三人集まれば賑やかだ。

気を抜くとすぐ近くなる距離に、ベテラン武閣氏も時々我に返っては警護の位置を取り直さねばならなかった。 


                                                      



 

                     

 

早速読んで下さってありがとうございます!

新作でもないのにコメント下さり、とっても嬉しかったですラブラブ

修正、加筆しつつ、進めていますので一気にはアップ出来なくてごめんなさい

 

ところで、女中のスミの素性が元女官っていうのはいつか書こうと思っていたのですが、

ようやくここで書けました!

数少ない私の話のオリジナルメインキャラです