「 内藤大助君への手紙 」
拝啓
元ボクシング世界チャンピオンの内藤大助君
君は僕の後輩です 僕は宮田ボクシングジム開設後
第一番目のプロボクサーなのです
高校生で全日本新人王を取った宮田会長は順風満帆に
日本 そして世界チャンピオンの道を歩んでいましたが
運悪く網膜剥離になり 僅か二十歳でボクサーを引退
することになりました
ボクシングがぼくより百倍大好きな宮田選手はその後
ボクシングジムの会長になることを選んだのです
前のジムから経営権を買い取った時に 前身のジムに
在籍していた僕は そのまま宮田ジムにのこることに
したのです
その理由はボクシングに対する宮田会長の若い情熱
に惚れてしまったことに ほかなりません
宮田ジムは二十二歳の宮田会長と 二十九歳デビューの
オヤジボクサーである僕 そして後にバンタム級日本王者
となる 眞鍋くん「現在亀有にてボクシングジムを経営」の
三人で出発をしたと言っても 過言ではないのかも
しれません
当時宮田会長 眞鍋くん そして僕の三人でいつも一緒に
行動していたことを思い出します
僕はその後仕事の都合で 当時昭島市にあった石川
ボクシングジムに移籍しましたが デビューは紛れもなく
宮田ボクシングジムなのです
普通 ボクサーが移籍をすると 移籍金などの諸問題が
在り 例えば飲み屋の女の子が店を移るのと同様
所属しているジムとトラブルが起こりやすいのですが
大丈夫 僕の場合二十数年たった今でも 宮田会長と
とても仲が良いです
風の噂によると 移籍とは又場面が違いますが
内藤くん 君は宮田ジムに所属しているにも関わらず
宮田会長の知らぬまま 芸能事務所と契約して
芸能活動を始めたそうですね いけません内藤君
君は君の努力もありますが 宮田ジムで強くなり
宮田会長にマッチメイクを組んでもらい 世間に顔が
知られるところとなったのです
芸能事務所入りは 正々堂々と宮田会長に話を
するべきだったと思います
君は一個の人間であると同時に 宮田会長の作品でも
あるのです
想えば君が世界チャンピオンになるずっと前 宮田会長
とお会いした時 「凄いパンチを打つんですよ!!」と
目を細めて嬉しそうに君の事を話していたことが
思い出されます
そこで提案なのですが 内藤大助君 君と宮田会長
眞鍋会長 そして僕の四人で一度酒でも飲みませんか
宮田ジムの創生の時の話やら 君が入門した時の話しやら
あんな事 こんな事を話しながら 愉しく酒でも
飲みませんか
安心してください 酒代は僕が払います
僕は 君の先輩なのですから
敬具
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