私の視覚障害あるある 働くことを考える | Pocket Apple

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ここには視覚障がい当事者として一人の女性として。素直にまっすぐ生きる飾らない私が詰まっています。



はじめに

みんなそれぞれに苦労しながら頑張ってる。地味にちょっとした事がやりにくかったり工夫しないと時間をかけないと出来なかったりするのは全ての障害に言えることだと思う。

視覚障害の実情

視力障害の難点は視覚からの情報吸収量が少なくなってしまう事で学習に遅れが生じてしまい学力に問題無いのにカリキュラムを終えられない結果、他の人と比べて学力に差が出てしまうこと。中には弱視とか全盲とか関係なくもちろん一般の学生のカリキュラムを終えて大学に行ったり凄く学力が高い生徒もいるよ。
私は学力遅れてるグループの一人で学生の当時は高校を卒業したら何処かの工場の下請け作業をして月3万稼げればいいほうだって言われてた。高校受験で学力の遅れによる点数が足りない事で高校3年間は一般の学習から少し離れて工場の下請けとか授産所施設に入所するのを目標にするため授業の中で作業服を着せられて畑を耕したり作業所から下請けの仕事をもらってきて訓練を受けていたんです。

当時周りの大人からすれば工場の下請けにしかなれない私が、あんまマッサージ指圧師の免許を取るための支援学校の受験を受けると言うと、まるでお金のないやる気のないフリーターが家を建てるというのと同じだ的な事を思っただろう。だから周りの先生たちは「松田、寝言は寝てから言え。世の中舐めるなよ、障害者で学力の低いお前に優しい世の中なわけがない」と冷ややかだった。私が受験に受かると思わなかったからなのか?私が嫌われてたからなのか分からないけど。
同じ学力の受験生の中で私だけ「うちの学校ではバカなお前の受験を認められないから」と他の学校へ回された。でも受かったら受かったで「なんだ、うちと受験内容も変わらないならうちで受験させれば良かったな。ってゆーか、本当に受かったのか?採点ミスなんじゃないか?」と何度も受験した学校に担任が電話してたっけ。
まったく、失礼な話だ。

その後熊谷の支援学校へ入学。
志半ばで中退。
結婚、出産、離婚・・・
せっかくの貴重な機会が巡ったのにサジを投げて本当に馬鹿だと今でも反省している。私は自分から困難を選ぶのかな。
国家試験に受かって免許を生かして働いていたら、結婚生活続けてたら今どうしてたのかな。って考える事もあるよ、その道を選ばなかったから。

人生は厳しくて切なくて優しくて楽しくて悲しくも素晴らしいと思えるのは生きている喜び。子供の頃は守ってもらってレールを敷いてもらっていたから生きて来られた。その事は凄く感謝してる。

20歳で世の中を何にも知らないままだから。ダメンズに利用されて結婚したとき、その家族が自分を持たず周りの意見に流されて、揺さぶられて生きる人を見て、そんな子供を利用して生きる親の姿を見て「自分を持たずに生きるって怖いこと」、「それは悲しいこと」、「勿体無い生き方なんだ」って学んだんだ。
だから誰かの意見に流されて揺さぶられてただ何にもなく生きることは私は選ばない。
黙ってなんかない。私は心臓が動くお人形じゃない。道具じゃない。必ず何かを掴んで一般社会の中で共に生きていける人間になってやる!


それから

合間合間にいろいろあったけど長年住んできた静岡を離れて憧れの東京で働こう、OLに為ろうと決めたのは今から8年前の4月の終わり頃。
最初は何をどうしたらいいかもわからない、スキルも全くない状態で。何より田舎だからインターネットの環境があったほうが情報量が増えるというメリットがあるという知識すらない。
まずは実家から行けるハローワークへ。
しかしハローワークはかなり遠くにあって相談しても実家の近くで献上な人でも仕事はできない。給料も少ない。当たり前だけど東京の求人なんてない状態。圏内に障害者(弱視)の求人が無いに等しい事は学生の頃から知ってたから期待してなかったけど現実を見るのと静岡県に障害者の求人がないんだよって話を聞くのとは違うね。やっぱり。
それでも「早く娘に会いたい、しっかりして迎えに行くんだ!」ってそれしかなかったから東京にもう一度行こうと決心。その決意を聞いた私の母は「やっと帰ってきてくれたのに、何でまた東京に行くの?」と珍しく泣きじゃくってた。泣きじゃくる母に後ろ髪引かれたけど、お母さん、ごめんね。でも私、娘を迎えに行かなきゃ。そう言って
最初は実家から都内にある民間の障害者派遣の会社を頼って電車で行き来しながら就職活動を始める。

就職活動

最初から民間の障害者雇用派遣会社を頼った私はエントリーシートを使った企業応募をせず、自分で履歴書を4時間くらいかけて太いマジックで手書きして面接をする企業に持参していた。これはまだ今より視力があった私の意地と派遣会社の担当からこのくらいの字の読み書きができるというアピールをするためにというアドバイスからあえて手書きをしていた。
面接が決まると地図を持って東京へ。その頃ガラケーだから乏しい情報を頼りに乏しい視力で右も左も分からない都内をグルグル歩いて企業に一人で行って面接を受けていた。
だから近くに目的のビルがあっても分からなくてタクシーの運転手さんにこんなに近いなら金にならないから自分でいけよ!!とお金払ってるのに怒られたり約束の時間に現地にたどり着けなくて面接受けられない事も沢山あって。凄く悔しい思いもしたよ。

面接

面接を受けると本意の内容から脱線すること多し(笑)
東京に出てから家族の支援をまったく受けずに一人暮らししているんだけど。それを言うとね。
洋服どうやって着てるの?とか肉じゃがどうやって作るか説明してとか。一人暮らし ?何を考えてるの?って言われたりする。そこから面接される。はじめの頃は、は?って呆気に取られたけど世の中の人から見る視覚障害者に対しての知識とイメージってまたそんなもの。
そんな所から掘り下げていって8年で300を超える履歴書を出し続けて。リストラや転職を繰り返して、それでも諦めない。現在は文字の読み書きが出来ない状態になったのでいかに短い面接の時間の中で少しでも理解を深めてもらえるかを考えて。面接官に仕事のイメージを持ってもらうために。音声の出るパソコンで履歴書を作ってワードで企業で使う通知書とエクセルで簡単な集計をグラフにしたものと自分の音声仕様のパソコン、音声仕様のiPhoneなんかを持っていき、面接でディスカッションしちゃいます。
そうするとこちらも面接官が心配してることも分かるし、私たちがどうしたら仕事出来るかイメージを持ってもらいやすくなる。

私の障害や配慮を伝える方法

1.障害の状況を伝える
面接の時に障害者手帳を見せて障害等級や障害名を伝えても実際、みんな違う力で能力も様々なのでこれは意味があまりないです。
私の場合、イメージを伝えます。例えば、右目はまったく見えません。左は目の前で出された指の数と手が動いているか止まっているかわかるくらいの視力があります。色や光の認識が出来るので洋服を買いに行ったり映画を観たりするのが大好きですが、視野が狭く真ん中しか 見えないです、それは丁度トイレットペーパーの芯から物を見ているような見え方です。
向き合って座っている距離ならなんとなく顔の表情がわかりますよ。とかね。用事があるときは声をかけてねとか。こんな風に言うとだいたい、あーなるほど!と解るみたい。

2.配慮を伝える
まずは仕事をするにあたり音声ソフトの導入をお願いします。
現時点でどういう仕事をさせてもらえそうか聞いて話をすすめます。
必要だと思うソフトの名前や金額、種類を一覧にしたものを作成して持参すると良いでしょう。

企業の多くはどこまで仕事させたらいいか分からないし、私たちもその企業でどこまで出来るか分からないというのが本音です。そこで私はお互いの不安が少ない状態で働けるように、お互いに一緒に働けるかゆっくり考える時間を設けるという意味でも、人事の方に入社前にお給料なくてもいいので半月か一か月、使用期間を設けてもらえないかと相談します。現在働いている会社はそうして互いに合意した状態で本契約を結びました。
それでも色々ありますが良い人間関係を築きやすいです。


その企業で長く働くために

会社員になるためのスキルも大切ですが(私は持ってないけど)人柄を知って貰えなければそのスキルを生かして働くことは出来ないです。そしてその会社で自分が持っているスキルを生かして働ける、スキルを生かせる仕事が貰えるとは限らない。勉強する事を悪いとは思わないですが手の届かないやる気も起きないスキルを取るために勉強するならその分、沢山面接を受けていく方がいいと思う。
実績は毎日を積み重ねる事で付いてくるもの。そしてお給料って生活していくために自分自信を充実させるためにとっても大切だけど。
例えばお給料が少なくとも狙った業種じゃなくても。
私はそこで良い人間関係を築けて長く働く事ができることが大事だと思う。
リストラ、転職を繰り返してよその会社、よその上司の考えを知って思うことかな。
毎日お給料が少ないけど働く中で徐々に何でも相談できる上司や先輩を作ることを選ぶのか、お給料や福利厚生を重視して自分を閉じ込めて精神潰して我慢しながら働くのが良いのかは人それぞれだと思います。私はお給料が少なくてやや生活厳しいしスキルがなかなか上がらないからもどかしい時もあるけど。でも、お金では手にできない良い人間関係を築きく事が出来ていて毎日会社に行くのが嫌じゃないのは気持ち的にも精神的にもすごく楽です。


私からメッセージ

視力障害はかわいそうとか、見えないから出来ない、一人で事が足らないと思うなら。それはすごく残念。そのフィルターいらないよ、その考えとても勿体無いなと思うよ。視覚障害は確かに小さな些細な事が一人で出来なくて、それをするにも誰かの目を借りなければならないし、誰かの手を借りるというのは相手のペースに身を任せるということに繋がって今すぐには出来ないどうにも出来ない苛立ちは半端じゃない事もある。
でもね、それでも。私たち目が見えにくい、見えないけどやろうと思ったら他の感覚を生かして何でも出来ると思うの!
それぞれ見え方が違うように、それぞれみんな凄くいい感覚を持ってる。繊細さがあるじゃない。誰に何を言われたって自分から自分にフィルターをかけて引け目に思う事ない。想像以上に不憫に思われるのも賃貸契約できないとか視覚障害を理由に診察拒否されたり意味が分からない。
知ろうとか知りたいと思うことからもう一歩進んで実際に触れる機会がもっと増えたらいいな。
実際近くにいて話したりすると思っていたような事はなくって、自分なんかより自然だよ。って分かってもらえたら、大丈夫じゃんって知れば私たちも視力障害という弱みを強みにできる事が分かれば
仕事でもプライベートでも。どんどん進んでいけること、出来ること、私たちにしか出来ない何かが増える見つかると思う。

みんな、目が見えにくかったり目が見えないとしても。心の目は絶対閉じちゃダメだよ。諦めて心の視野を狭めたら勿体無い。外に出ましょう!外に出たい!やってみたいことを周りに言葉で伝えましょう!

視力が健康な人たち。
心の目、光を失ってませんか?自分で勝手に作った思い込みフィルターから私たちを見てませんか?
外してみて!


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ほら、
私は青い空を見つめながら。
空いっぱいに手を伸ばして歩いているよ。



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松田昌美|テープ起こし専門|ブラインドライター
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