年末に、2週間ほど猫砂が捨てられず、仕方なく処分場に持ち込んだところ、
計量結果は90Kg。
でした。
元々の砂が一番安いベントナイトなので、重めだとしても、トラやライオンの排泄物でもあるまいし、2週間で90Kgは流石に驚いてしまいました。
これはしみじみ思うのですが、何か動物を飼育するということは、飼い主がその動物の処理係になり、全て動物に合わせた奴隷になることだな、と今更気づきました。
ねとさんたちは完全室内飼育なので、当たり前ですが出したものは100%自分達で処理します。
今2間を明け渡していますが、そこに人間も居る以上、スペースがどうしても限られます。
猫は綺麗好きで気まぐれですから、自分以外が使ったトイレは兄弟のものといえ、使いたがりません。
猫トイレを制する者は多頭飼育を制する、という訳のわからない信念に基づき、多段式猫トイレを考案して、キャットタワー横に4基設置致しました。
1基分の木材です。材料は端材をご寄付いただいたものです。
これを組んで、3段で1本の猫タワートイレにします。
一枚板で作れば多分とても楽だったのでしょうが、そうもいかないので、
細い木をつなぎ合わせて結果的にログハウス調になりました。
前面がフルオープンになり、中のトイレトレイを清掃しやすくし、更に猫砂の飛散防止を狙いました。
少し欲をかいて、キャットタワーの補助的に足場になるようにして、遊ばせております。
きっちり水平を取って作れば、4段にしても多分大丈夫でしょうが、
そうすると清掃時にトイレトレイが目線より高くなってしまうので、まぁ、良しとします。
最初は自分の好みの場所を決めていた子達が、大小によってトイレを使い分けるようになったのは面白い発見だったと思います。
トイレが汚れてくると、他の子がした大きいのを掘り起こして、畳の上に気が済むまで放り投げてから自分がするような芸当までしてくれるので、幼猫の時とはまた違った意味の緊張状態が続いています。
やはり猫は樹上性であるという概念から、横に広げず全て縦に切った貼ったで部屋の改造をしています。
これはカーテンレールのついていた部分にビバホームで買ってきた2×4材を2本付けて、猫専用極小ロフトとしたものです。
梯子も、多段トイレと同じ端材での手作りで、ダイレクトに天井にアプローチできるように心がけております。
が、気を付けないと上から猫が降ってくるので、迂闊に背中を向けてはいけません。
視線を感じるな~と思って振り向くと、地球ネコの如く見てるんですね。
大体肩に飛び降りようとする直前なので、とても危ないです。
それから最近、電灯の笠にも関心が出てきて、寝室では既に幾度となくアタックされ、ボロボロになりました。
これはもう裸電球しかないな、と思っています。
以前ちびちゃんのママ毛布動画をご紹介しましたが、3頭揃った動画が撮影できたので、アップ致します。
どらちゃんだけはママ毛布をしないので、最後に見守る後頭部で、一応4頭映っています。
現状のねとさんたちの生活はこんな感じです。
山田芳裕先生の「へうげもの」が25巻にして完結した。
物語である以上、必ず終わらなければならず、ましてや歴史物の「落ち」は「史実」として先回りして示されているものである。
どういった始まりの物語であれ、歴史物であれば「イベント」は着実に消化され、どういった形で終焉がもたらされるのか、読者は頭のどこかに置いた年表と照らし合わせながら、結末に近いほど、物語をどこか醒めた頭で読んでしまうことが多い…、と、思う。
しかし、「へうげもの」最終巻の読後感は、寄せては返す波のような途方もない感慨と、不思議な安堵がないまぜになるような、所謂「歴史物」の枠に収まりきらない奇妙なものとして私には感じられた。
日本人が日本人たる所以(ゆえん)である文化的な根拠の殆どが、いわゆる「織豊(しょくほう)時代」(安土桃山時代~大阪夏の陣迄の、織田信長・豊臣秀吉治世の時代)に端を発することは比較的良く知られている。
この時代、人の命は異様に軽く、毀誉褒貶激しい、災害と戦災が絶えない、どう考えても「自分が産まれていなくて良かった」時代の筆頭候補であったことは疑うべくもない。だが、260年の泰平治世の江戸時代よりも、日本人の心の中心に居座り、何かがあったときには「一番最初の始まり」として多くの事物のルーツが示されるマイルストーンですらあり続ける。
400年以上の時代を経てさえも多くの人々を魅了し続ける、織豊時代の求心力が何であったのかを考察すると、文化とその「伝播」の要素は見逃せるものではない。
何か新しい物や様式等、「文化」は日々産まれ、殆ど同じ数だけ瞬く間に忘却される。文化とは考案され、産み出されるだけでは生きられるものではなく、それを受け入れる人々の心に入り、人間の中心に根付き、それを知らない人に伝えたいと思われて初めて命が宿るものでもある。
他者の心に入り、殆ど精神を乗っ取るような勢いで侵食し、見聞きした者を伝播・継承者にすることに成功したもの以外、「伝統文化」として独自の命を持つことは難しい。
「へうげもの」の主人公、古田織部を始めとした織豊時代の文化人達は、自らの保身よりも「数寄」を取り、ある時は嘲笑の対象となるような異様な執着で、己の様式を完成させることにだけ邁進した。
茶釜を抱いて日本初の爆死をしたり(松永久秀)
数寄を極める為に一族郎党700人を皆殺しにさせたり(荒木村重)
黒か黄金かで生命の遣り取りを行い(千利休)
金銭的なものや地位・名誉よりも「文化(数寄)」の「流儀」で殺すの殺されるの生きるの死ぬのと、その異様さは世界的に見ても、恐るべき光芒を放つばかりである。
織豊前期の文化人らが血腥く己の存在を誇示し、異様な死に様で数寄を伝播したのに対して、古田織部ら織豊後期の文化人は、他者を和ませること、固着を解き、安堵を与え、それを「伝播」の原動力とすることを「乙」とし、その一点を成しえるか否かに己の総てを投じたとして、「へうげもの」では描かれている。
より多くの人々が心地よく面白いと思い、自らそうしたいと倣ったが故に、古田織部とその周辺の文化人が産み出し、開始した事物の多くは、今尚私たちの暮らしに繋がる「日本的な伝統文化」として息づき、未来に渡っても継承されてゆくのであろうと予感する。
そしてまた、何か新しい物事や様式を他者に伝えたいのであれば、他者の心に入り、伝播をして貰えるよう、己の総てを惜しまず投じねばならないと、改めても思う。誰かや何かを救おうとするならば、己の保身を捨てるところから始めなければ、実際に何も動くものではないのだろう、とも。
最終巻を読了して感じた、寄せては返す波の如き感慨と安堵とは、
古田織部らの始めた事物は日本国がある限り消え失せず、未来永劫継承されてゆくのだろうという確たる予感と、自己保身に走りがちな自分自身への叱咤と自己批判であったように思われてならない。
P.S
私事で恐縮なのですが、あまり体調が良くなく、最近では原因不明の血痰が出たりして、つい自己保身の気持ちが芽生える中、せめて織豊文化人の1/10でも己を投じなければ何事もなしえないと、改めても考えた次第であります。



