山田芳裕先生の「へうげもの」が25巻にして完結した。

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物語である以上、必ず終わらなければならず、ましてや歴史物の「落ち」は「史実」として先回りして示されているものである。

どういった始まりの物語であれ、歴史物であれば「イベント」は着実に消化され、どういった形で終焉がもたらされるのか、読者は頭のどこかに置いた年表と照らし合わせながら、結末に近いほど、物語をどこか醒めた頭で読んでしまうことが多い…、と、思う。

しかし、「へうげもの」最終巻の読後感は、寄せては返す波のような途方もない感慨と、不思議な安堵がないまぜになるような、所謂「歴史物」の枠に収まりきらない奇妙なものとして私には感じられた。

 

日本人が日本人たる所以(ゆえん)である文化的な根拠の殆どが、いわゆる「織豊(しょくほう)時代」(安土桃山時代~大阪夏の陣迄の、織田信長・豊臣秀吉治世の時代)に端を発することは比較的良く知られている。

この時代、人の命は異様に軽く、毀誉褒貶激しい、災害と戦災が絶えない、どう考えても「自分が産まれていなくて良かった」時代の筆頭候補であったことは疑うべくもない。だが、260年の泰平治世の江戸時代よりも、日本人の心の中心に居座り、何かがあったときには「一番最初の始まり」として多くの事物のルーツが示されるマイルストーンですらあり続ける。

 

400年以上の時代を経てさえも多くの人々を魅了し続ける、織豊時代の求心力が何であったのかを考察すると、文化とその「伝播」の要素は見逃せるものではない。

 

何か新しい物や様式等、「文化」は日々産まれ、殆ど同じ数だけ瞬く間に忘却される。文化とは考案され、産み出されるだけでは生きられるものではなく、それを受け入れる人々の心に入り、人間の中心に根付き、それを知らない人に伝えたいと思われて初めて命が宿るものでもある。

他者の心に入り、殆ど精神を乗っ取るような勢いで侵食し、見聞きした者を伝播・継承者にすることに成功したもの以外、「伝統文化」として独自の命を持つことは難しい。

 

「へうげもの」の主人公、古田織部を始めとした織豊時代の文化人達は、自らの保身よりも「数寄」を取り、ある時は嘲笑の対象となるような異様な執着で、己の様式を完成させることにだけ邁進した。

茶釜を抱いて日本初の爆死をしたり(松永久秀)

数寄を極める為に一族郎党700人を皆殺しにさせたり(荒木村重)

黒か黄金かで生命の遣り取りを行い(千利休)

金銭的なものや地位・名誉よりも「文化(数寄)」の「流儀」で殺すの殺されるの生きるの死ぬのと、その異様さは世界的に見ても、恐るべき光芒を放つばかりである。

 

織豊前期の文化人らが血腥く己の存在を誇示し、異様な死に様で数寄を伝播したのに対して、古田織部ら織豊後期の文化人は、他者を和ませること、固着を解き、安堵を与え、それを「伝播」の原動力とすることを「乙」とし、その一点を成しえるか否かに己の総てを投じたとして、「へうげもの」では描かれている。

より多くの人々が心地よく面白いと思い、自らそうしたいと倣ったが故に、古田織部とその周辺の文化人が産み出し、開始した事物の多くは、今尚私たちの暮らしに繋がる「日本的な伝統文化」として息づき、未来に渡っても継承されてゆくのであろうと予感する。

 

そしてまた、何か新しい物事や様式を他者に伝えたいのであれば、他者の心に入り、伝播をして貰えるよう、己の総てを惜しまず投じねばならないと、改めても思う。誰かや何かを救おうとするならば、己の保身を捨てるところから始めなければ、実際に何も動くものではないのだろう、とも。

 

最終巻を読了して感じた、寄せては返す波の如き感慨と安堵とは、

古田織部らの始めた事物は日本国がある限り消え失せず、未来永劫継承されてゆくのだろうという確たる予感と、自己保身に走りがちな自分自身への叱咤と自己批判であったように思われてならない。

 

P.S

私事で恐縮なのですが、あまり体調が良くなく、最近では原因不明の血痰が出たりして、つい自己保身の気持ちが芽生える中、せめて織豊文化人の1/10でも己を投じなければ何事もなしえないと、改めても考えた次第であります。