昔、民俗学を齧っていた頃、神話や民間伝承の中の真なる部分を拾う作業に没頭したことがある。
それらは大抵の場合、宗教的バイアスががっつりかかっていたり、政治的なレイシズムを含めた夢も希望も無いようなお話しや、ある時代に起こった異常な事件等に帰結していくことが多いのだが、各物語の要素をざっくり「宗教」「政治」「事件」に分類し、それらの排除をしていくと、この3つのどれにも当てはまらない「特異点」が際立って残されることもまた少なくはない。
つい最近、とある物語群に際立った特異点が青銅器文明時代(5000~6000年前)に発祥していた可能性が発表されたり(ジャックと豆の木系、鍛冶屋と悪魔系 http://tocana.jp/2017/01/post_12017_entry.html)如何なる遺物にもよらず、遥か昔に地上を立ち去った人々の思考や文明の痕跡と生々しく接する機会と思えば、これほど面白い学問も無いと私は考える。
この手の作業中に「宗教」「政治」「事件」のタグ付けを間違えると、とんでもない方向に解釈がすっ飛ぶ誤解釈も起こり得る。解釈のすっ飛びは「神や妖精の容姿や性格」にしばしば発生する。
えてして、伝承中の「神や妖精」には極端な性格や性質が冠されていると思ったほうが良い。彼らは異界の異能の者なので、崇拝や尊敬、もしくは真逆の憎悪や嫌悪を象徴として担わされる傾向がある。特にそれらは「政治的なレイシズム」が蔓延した時代に出現することが多く、その感情と同期して悪疫や大戦争が勃発した場合、100年も経てば新しい妖精や悪魔が産み出されていると言っても過言ではない。
 
とある国の民間伝承にある水の妖精も、例に漏れず「極端」な性質が付与されたものであった。
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それは伝承に曰く:彼らは極めて賢く、人間の考えることは全て読み取れる。じっとしていることが困難で常に動き回り、悪質な盗癖を持つ。そればかりか悪魔のように淫らで遭遇すると頭がおかしくなることすらある。非常に魅力的な外観を持ち、恋するあまり心を病む人間も居る。人間が彼らに交渉を持つのは、失せ物を出して欲しいとか、財宝をみつけたいとかそういう目的の為だが、先ず彼らを見つけても話を聞いてもらうことが困難であり、ポケットに何かを入れていれば一瞬で盗まれると思わなければならない。そこで怒ったりすると二度と彼らには遭遇できなくなる。彼らの欲求を全て受け入れ耐え抜いた者だけが援助を得ることが出来るが、結果として得られるものは人間をおちょくるが如くに”まぁまぁ”であることが多く、期待外れの目的達成に拍子抜けした人間をケケケケケケケと哄笑し水の中に姿を消してしまう・・・・・。
 *青字は彼らの正体について特に重要な要素
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普通の頭でこれを読めば「これは何だ・・・?」と、レイシズムを疑う話になる。かつてその妖精は、ある国である時代に「スリ&カッパライ組合の紋章」にまで採用されていたことからも、特定のあまり好ましくない一般社会から嫌われる人々から広く崇敬を集めていたことが知れる。
私もかつてはレイシズム的にこれを捉え、何か特定の民族集団や職能集団が川沿いに半定住生活をしていたのではなかろうか?こういう伝承を最初に考えた奴は少し欲求不満気味のガチガチの聖職者か何かだったのだろう、等考えていた。
・・・・・・つい最近までは。
 
結論として申し上げれば、これは「ある動物」そのものの描写であった。伝承としては反則クラスの「そのもの」を観察した描写であり、正体を知った今となっては、あまりの写実性に「妖精」にカテゴライズすることを拒否する次第である。もう少し空想の幅を広げなければ、妖精とは呼びかねるのではなかろうかと真剣に思う。
実際にその動物を真剣に相手にすると、ただ1頭を相手にしているだけなのに、
「多動症の盗癖のある小人が3人ぐらいでウェーイwwwと襲い掛かってきてポケットの中をまさぐり回した挙句速攻で姿を消す」
だの
「やおらストリップショーが始まった。こんな動画をyoutubeにアップしたら不適切のあまり削除されかねず、局所に至ってはモザイクすら必要である」
だの
「笑い声を聞いているうちに此方も笑い出したら、宇宙語で会話が始まった」
だの
 「それら全部を一度にやられて記憶の空白地帯が出現した」
だの・・・・・。
謎が謎を呼ぶ感想が次々出てくる。
しかも見ているだけでどうにかなってしまうぐらいに可愛らしいので、遭遇した者は我先に我が身を生贄として提供したくなっちゃうのだ。
やはりこれは水の妖精の仕業としか思えぬ出来事ばかりであり、もう神とか悪魔とか妖精の実在を信じるしか無いレベルまで話は到達するが、この存在には動物園で遭遇することが出来る。とても人気があり・・・・・、たいていの動物園で、それはアイドル的存在である。柵ごしとはいえ、触れ合いすらできる園もある。
 
民間伝承の分解には3要素の分類作業がどうであれ不可欠であるのだが、比喩ばかりではなく、確かに「写実」「ただの描写」という要素が含まれていることを決して忘れてはならない。それらは現代を生きる我々が素直に理解できるものばかりではないことも多くある。
青銅器文明の名残から動物記まで含まれる民間伝承の魅力は計り知れぬものがある。
往々にして事実は小説より奇であり、現実が想像を追い越すことはしばしば起こり得るのだと、我々は肝に銘じなければならない。
ずっとわからなかったことが、この年になって唐突に理解できた快感には言い知れぬものがある。
 
―――という不思議な動物に出会ったお話でした。