カダフィの真実

リビア戦争 現地記者の証言 帝国のプロパガンダ

 

トランプ氏が当選した後の世界では、いなくなった指導者のことばかり思い出されます。

 

大昔、ソ連がなくなってまもなくの頃、リビアが「問題を解決して成果を出せば正当に評価される国」「問題の解決を喜ぶ国」「問題を長引かせることを喜ばない国」だと知り、かなり本気で在リビア外国人技師を目指したこともありました。が、当時水産系で大至急求められていたのはタコの養殖技術で、淡水魚の技術はリビアにとってまだ未来のものでした。

2016年現在、淡水魚技術はリビアにとって未来どころか異次元、否、外宇宙の存在になってしまっているのですが、大昔は確かに未来の技術であり、将来へのバックアップとして興味を示して下さったこと、それをすると何が解決できてどんな新しいものが手に入るのか知りたがったこと、それだけは確かなこととして私達は知っています。

カダフィ大佐がいなくなった後の世界で、私達は政治は決して全ての国民を幸福に「できない」ことを知りました。どんな崇高な理念をもってそれを実施しても、それを喜ばない国があれば、ある時には乱暴な形で、またある時にはそれと気が付かない形で、必ずそれは潰されます。ましてや、そういう国に追従するしか選択肢の無い国の出来事であれば、崇高な理念を掲げた指導者など出現するわけもないので猶更です。それはいわゆる「誰がやっても同じこと」という言葉に集約されてしまう「諦め」の境地です。

トランプ氏の当選は、この流れを根底から断ち切りかねない出来事ですが、彼が本当に自ら言っていたようにふるまうのか、ガス抜きピエロの4年間を過ごすのか?少なくとも政治が国民を幸福に「できない」原則に則れば、言われているほどの変革もなく悪辣な連中は静かに身を潜めて4年間をやり過ごすのかもしれないとも思えてなりません。が、アメリカを中心とする焼き畑農業的経済には派手なブレーキがかかったことを願います。確実にネオコンの一角は瓦解し、私事で恐縮なのですが、ウクライナの戦況は少しずつ好転しています。

期待と冷淡な感情がないまぜになる感覚を抱えて、このようなことばかりを考える日々を送っています。

 

 

しかし、西側の犠牲者であるもう一人の指導者、サダム・フセイン元大統領の裁判演説を見れば、冷淡な感情は裏返り、ふつふつと暗い喜びが沸き上がります。

この方の穏やかで清々しく吹き上がる憎悪を見ると、どれほどの罪の種がばら撒かれ、今収穫の時に至ったのか、推し量ることが出来る限度を超えています。このようなものはどうあったって償うことも癒すこともできません。

きっと、今の世界のザマを見て、この証人席にいた全員、皆が地獄で一丸になって笑いが止まらず、各々が憎む相手の足を引く手を虚空に伸ばしていることでしょう。

この数年間で世界中の「奪われた」人間が理解したことは、とどのつまり、人を殺すことはできても言葉を殺すことはできないし、殺された人を無理やり忘れさせることもできない、無為に殺されてしまった人々は、却って残された者の中で永遠の命を得てしまう、ということだったのではないでしょうか。

 

これら醜悪な過去の出来事すべてが寓話になる世の中など期待するだけ無駄なのでしょうが、これほどまでに取り返しのつかない愚行を真実を曲げたプロパガンダだけで行ってしまった陣営が存在し、それを我が国の政府も後押ししてしまっていたのだと、せめて教訓話程度でも残る世の中になれば、と、切に願います。