※単純な思考で以下の文章を読んでしまうと、まるで差別じみた感情を喚起するように感じる方がいらっしゃるかもしれませんが、私どもは「人が過去に移動した」その事実だけを言っております。くれぐれも勘違いは避けられますよう、切にお願い申し上げます。
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蝦夷地・・・1
前回、「八紘一宇」(天皇のもと、全ての民族は平等であり尊し)と書いたところで、
つい最近、本気で同じような概念を実施し、消滅した国があったことをご紹介したい。
言わずと知れた、ソビエト連邦(Союз Советских Социалистических Республик)である。
八紘一宇の「天皇」を「カール・マルクス」なり「レーニン」なり何なら「共産主義」とでも置き換えれば、
それは即ちソ連の本気の理念となる。
現に、第二代最高指導者ヨシフ・スターリン(Иосиф Виссарионович Сталин)
本名:ジュガシヴィリ(グルジア語:ჯუღაშვილი/ロシア語:Джугашвили)は、
死ぬまでロシア語をうまく話せない、上手に(文法的に)書けない、生粋のグルジア人のままだった。
近年では、彼は日本帝国軍の諜報部が革命軍に送り込んだ本名を「須田林義夫」という日本人であった!
などというトンデモ説までまことしやかに存在する。
(これをロシア人から聞かされた私がどれほど混乱したか、お察し戴きたい。)
つまり、それほどまでに彼は一貫して「外国人」であったのだ。
「外国人」を国家の最高指導者にしてしまうほどの理念(平等主義)は、実に見事である。
他にも
(生還を望まない決死の覚悟を示す)「ハチマキ」(イゴール・タルコフ氏を参照されたし)
(玉砕を望む決死の覚悟を示す)「タスキがけ」(主に革命軍相手に玉砕を覚悟した皇帝軍が実施)
「土下座」(ウクライナの治安維持部隊である「べクルート」が解散してロシアに亡命する時に、民衆相手に最後まで守りきれなかったことを謝罪して実行)
これら3つの日本人と共通した行動様式がある。
おそらく、これらは日露戦争時に持ち込まれ、ソ連に定着した習慣ではなかったか?と思われる。
私の知る限りでは、西ヨーロッパにこれらの習慣は存在しないし、
土下座に至っては本日現在、東欧以外に意味が通じる場所があるとも思えない。
日本人とロシア人は知れば知るほど、何かが必然的に「似ている」のだ。
それは私達の穿った思いから起こるものであるかもしれないし、また、日露戦争以降、当時のロシア皇帝軍兵士達が武士道というものを習得或いは理解したことから起こるのかもしれない。
しかし、接点、という意味で忘れてはならないのが、かの国「韓国」である。
あの国と日本は遠くは先祖を一部地方で共有する。その上、同じ国だった期間がある。
土下座もハチマキもタスキがけも存在している。
だが。
何かが全部違うのだ。
中国に至っても、日本は遣隋使・遣唐使の時代を経て、
仏教の開祖を招き、建築や律法を貪欲なまでに学んだ。
しかし、此方も何かが全部違うのだ。
根本的な民族や文化が異なる、バックヤードが異なる者同士では、
接触する時間がどれほど長くても、どうあってもこれほどの違いが生じてしまうのだ。
余談だが、日本と中国が共有している文化で、現在に於いて唯一つのものは「金魚」以外に存在しないように私どもには思われる。こればかりは日本人と中国人とで話し合わなければ、共有できる国も民族も居ないのだ。(その観点からも私どもは我々の管轄は水産庁ではなく、文部科学省であると主張し続けているのです。)
前置きが非常に長くなり恐縮なのですが、
結論として日本人のヒト白血球抗原を採取し、検査をすると、
ざっくり分けて東日本人と西日本人の間に激しい差異が存在することが既に判明している。(この場合、先祖代々という意味です。最低でも500年以上そのエリアに代々住んでいた証拠のある方々をサンプリングした場合です)
また、東日本人も、東北では太平洋エリアと日本海エリアに差異があり、関東人の場合にもほぼ歴史伝承に沿う形で差異が発生する。
そして、総じて、東日本人のHLA型は、母系か父系どちらか、ないし双方がバイカル湖及びエニセイ川沿いにルーツを持つものが多くなる傾向にある。
即ち、極東エリア、管轄としては現在のロシアの東部地域に何故か密集する不思議な結果となる。
西日本に至っても、朝廷のおかれた地域からどれほどの距離があったか、人的交流の多寡によって差異が生じる。
日本海側ではHLA型に多彩な変異があり、幾度にもわたり日本海側から人がやってきて定着を繰り返した痕跡と見られている。太平洋側では南方系のHLA型が多い傾向にある。
極端な例では、関東の一部に多いHLA型が九州の一部に密集しているケースもある。民族集団がワープしたように遠方に突然出現するこの例は、一説では防人として赴任した兵士が現地に定着したという見方も出来る。
非常に面白いことに、あれほど交流のあった朝鮮系・中国系のHLA型は西日本に至っても少ない傾向となっている。
話を蝦夷地に戻します。
昔朝廷(京都)から見て「あずまえびす」と見られた関東以北の遺伝的ルーツが、極東系の諸民族のモザイクとなっていることが非常に特徴的に感じられる。
これらのルーツを持つ集団は、ツングース系・ブリヤート系、その他諸部族系すべてをひっくるめて
出身部族の区別なしに「蝦夷(えみし)」と朝廷から呼ばれる存在として日本の歴史に出現した。(あくまでこれは中央朝廷からの見方であり、実際は地域集団毎に「異部族」としての認識があったことは確認されている)
箱根の関を隔てて、東日本人はある時代まで特有の文化圏を構築していたのである。
この「ルーツ」というものが曲者である。
ある人に言わせればこれはマンモスを追って日本列島にやってきた時代の痕跡という説もあり、
また、実は鎖国寸前まで継続して流出入が続いていたせいではなかろうか?という説もある。
そう、入ってくるばかりではなく、出て行く人たちもいた。
そして新しく家族を連れて再び戻ってくる人たちも居た。
「ヨシツネ・ドーム」
「砂金堀りの日本人の遺構」
これらは決してうわついた妄想の産物ではなく、時代の痕跡としてシベリアのど真ん中に今も刻まれている。
間違えてはいけないのは、この時代に至って流入・定着した民族でさえヤマト民族を構成するものである。
ここまでの時代に入ってきた諸部族全てひっくるめて純粋な「土着の日本人」なのだ。
そして、DNA鑑定を「即決できない」理由はここにあるのではなかろうか、と考えられるのだ。

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蝦夷地・・・1
前回、「八紘一宇」(天皇のもと、全ての民族は平等であり尊し)と書いたところで、
つい最近、本気で同じような概念を実施し、消滅した国があったことをご紹介したい。
言わずと知れた、ソビエト連邦(Союз Советских Социалистических Республик)である。
八紘一宇の「天皇」を「カール・マルクス」なり「レーニン」なり何なら「共産主義」とでも置き換えれば、
それは即ちソ連の本気の理念となる。
現に、第二代最高指導者ヨシフ・スターリン(Иосиф Виссарионович Сталин)
本名:ジュガシヴィリ(グルジア語:ჯუღაშვილი/ロシア語:Джугашвили)は、
死ぬまでロシア語をうまく話せない、上手に(文法的に)書けない、生粋のグルジア人のままだった。
近年では、彼は日本帝国軍の諜報部が革命軍に送り込んだ本名を「須田林義夫」という日本人であった!
などというトンデモ説までまことしやかに存在する。
(これをロシア人から聞かされた私がどれほど混乱したか、お察し戴きたい。)
つまり、それほどまでに彼は一貫して「外国人」であったのだ。
「外国人」を国家の最高指導者にしてしまうほどの理念(平等主義)は、実に見事である。
他にも
(生還を望まない決死の覚悟を示す)「ハチマキ」(イゴール・タルコフ氏を参照されたし)
(玉砕を望む決死の覚悟を示す)「タスキがけ」(主に革命軍相手に玉砕を覚悟した皇帝軍が実施)
「土下座」(ウクライナの治安維持部隊である「べクルート」が解散してロシアに亡命する時に、民衆相手に最後まで守りきれなかったことを謝罪して実行)
これら3つの日本人と共通した行動様式がある。
おそらく、これらは日露戦争時に持ち込まれ、ソ連に定着した習慣ではなかったか?と思われる。
私の知る限りでは、西ヨーロッパにこれらの習慣は存在しないし、
土下座に至っては本日現在、東欧以外に意味が通じる場所があるとも思えない。
日本人とロシア人は知れば知るほど、何かが必然的に「似ている」のだ。
それは私達の穿った思いから起こるものであるかもしれないし、また、日露戦争以降、当時のロシア皇帝軍兵士達が武士道というものを習得或いは理解したことから起こるのかもしれない。
しかし、接点、という意味で忘れてはならないのが、かの国「韓国」である。
あの国と日本は遠くは先祖を一部地方で共有する。その上、同じ国だった期間がある。
土下座もハチマキもタスキがけも存在している。
だが。
何かが全部違うのだ。
中国に至っても、日本は遣隋使・遣唐使の時代を経て、
仏教の開祖を招き、建築や律法を貪欲なまでに学んだ。
しかし、此方も何かが全部違うのだ。
根本的な民族や文化が異なる、バックヤードが異なる者同士では、
接触する時間がどれほど長くても、どうあってもこれほどの違いが生じてしまうのだ。
余談だが、日本と中国が共有している文化で、現在に於いて唯一つのものは「金魚」以外に存在しないように私どもには思われる。こればかりは日本人と中国人とで話し合わなければ、共有できる国も民族も居ないのだ。(その観点からも私どもは我々の管轄は水産庁ではなく、文部科学省であると主張し続けているのです。)
前置きが非常に長くなり恐縮なのですが、
結論として日本人のヒト白血球抗原を採取し、検査をすると、
ざっくり分けて東日本人と西日本人の間に激しい差異が存在することが既に判明している。(この場合、先祖代々という意味です。最低でも500年以上そのエリアに代々住んでいた証拠のある方々をサンプリングした場合です)
また、東日本人も、東北では太平洋エリアと日本海エリアに差異があり、関東人の場合にもほぼ歴史伝承に沿う形で差異が発生する。
そして、総じて、東日本人のHLA型は、母系か父系どちらか、ないし双方がバイカル湖及びエニセイ川沿いにルーツを持つものが多くなる傾向にある。
即ち、極東エリア、管轄としては現在のロシアの東部地域に何故か密集する不思議な結果となる。
西日本に至っても、朝廷のおかれた地域からどれほどの距離があったか、人的交流の多寡によって差異が生じる。
日本海側ではHLA型に多彩な変異があり、幾度にもわたり日本海側から人がやってきて定着を繰り返した痕跡と見られている。太平洋側では南方系のHLA型が多い傾向にある。
極端な例では、関東の一部に多いHLA型が九州の一部に密集しているケースもある。民族集団がワープしたように遠方に突然出現するこの例は、一説では防人として赴任した兵士が現地に定着したという見方も出来る。
非常に面白いことに、あれほど交流のあった朝鮮系・中国系のHLA型は西日本に至っても少ない傾向となっている。
話を蝦夷地に戻します。
昔朝廷(京都)から見て「あずまえびす」と見られた関東以北の遺伝的ルーツが、極東系の諸民族のモザイクとなっていることが非常に特徴的に感じられる。
これらのルーツを持つ集団は、ツングース系・ブリヤート系、その他諸部族系すべてをひっくるめて
出身部族の区別なしに「蝦夷(えみし)」と朝廷から呼ばれる存在として日本の歴史に出現した。(あくまでこれは中央朝廷からの見方であり、実際は地域集団毎に「異部族」としての認識があったことは確認されている)
箱根の関を隔てて、東日本人はある時代まで特有の文化圏を構築していたのである。
この「ルーツ」というものが曲者である。
ある人に言わせればこれはマンモスを追って日本列島にやってきた時代の痕跡という説もあり、
また、実は鎖国寸前まで継続して流出入が続いていたせいではなかろうか?という説もある。
そう、入ってくるばかりではなく、出て行く人たちもいた。
そして新しく家族を連れて再び戻ってくる人たちも居た。
「ヨシツネ・ドーム」
「砂金堀りの日本人の遺構」
これらは決してうわついた妄想の産物ではなく、時代の痕跡としてシベリアのど真ん中に今も刻まれている。
間違えてはいけないのは、この時代に至って流入・定着した民族でさえヤマト民族を構成するものである。
ここまでの時代に入ってきた諸部族全てひっくるめて純粋な「土着の日本人」なのだ。
そして、DNA鑑定を「即決できない」理由はここにあるのではなかろうか、と考えられるのだ。
