左画像:1988年Саквояжより/右画像:1991年Я вернусьより

私達の心に"戻ってきた"イゴール・タルコフ・・・1
私達の心に"戻ってきた"イゴール・タルコフ・・・2
私達の心に"戻ってきた"イゴール・タルコフ・・・3
私達の心に"戻ってきた"イゴール・タルコフ・・・4
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イゴール・タルコフ氏の作品群には、ファンによって評価が真逆になるものが幾つかある。
先日 http://ameblo.jp/fairlady-sp310/entry-11884781399.html にて翻訳を行った
Саквояж:小さなカバン」は、その代表例である。
この曲は、当時ソ連で放映されていた歌謡番組のエンディングテーマとして使用された曲であり、ゴルバチョフ書記長の「ペレストロイカ政策」が開始されたばかりの頃のソ連社会の空気感を今に伝える貴重な動画になっている。
歌詞の内容も、過去を振り返らず、小さなカバンに少しの荷物と期待を持って、新しい世界へ行こう!という、夢と希望に満ち溢れたものだ。
私は正直、この曲を初めて聞いたとき、これがタルコフ氏の?!こんなにも普遍的で明るく優しい曲-(彼自身の)将来望むキャリアや夢を語り、聞くものを励ます、悪く言えば凡庸であたりまえ、かつ応援ソング的な曲をタルコフ氏が?!と、動揺する気持ちを隠すことが出来なくなった。
そして、歌詞を幾度も熟読するうちに、自分自身表現し難い猛烈な寂寥感と悲しさ、
そして政治というものに対する激しい怒りに襲われ、恥ずかしながら涙を隠すことができなくなってしまったのだ。
ゴルバチョフ書記長のペレストロイカが迎えに来た「新しい道」は、
たった3年でタルコフ氏を1991年の「Я вернусь:私は戻ってきます」へと導いた。
これはタルコフ氏の身の上だけに起こったことではなく、当時ソ連に生きた全ての人民-国民に望むと望まざるとに関わらず降り掛かった出来事なのだ。
タルコフ氏のファンの間でこの曲は、
「一番好きな曲です。彼が普通の歌手であった時代、最後の曲なので」
「辛くて聞けません。彼の道は暗殺に続くものでした。何度聞いてもこの曲が一番辛い」
概ねこのどちらかの意見をレビュアーは支持している。
私もほぼ同意見であり、さらには政治の過ちが個人の夢や希望を跡形もなく踏みにじる、その残酷さについても付け加えたいと思う。
加えて、私にとってゴルバチョフ書記長の評価は中立~ややマイナス程度であったのが、
既に憎悪の領域-地獄の業火で焼き尽くすべき政治家一覧に彼がリスト入りしてしまったことも。
ゴルバチョフ書記長は、日本で言うならば鳩山由紀夫元総理と同じような感覚の持ち主であったと強く感じさるを得ない。


Игорь Тальков:Ностальгия(ノスタルジア 1988年)
ペレストロイカ政策は、年の半ばには既に庶民の生活に深刻な陰を落とし始めていた。
社会主義経済に対して、公然と牙を剥くことを許可されたが如く、資本主義経済が襲い掛かったのだ。
解決すると楽観的に言われていたものは全く解決せず、想像だにしなかったものばかりが決められ、
様々な不都合や理屈に合わない事態にソ連人民は直面させられていた。
年初の「Саквояж」に見られた明るさは1988年の後半には既に消え、
タルコフ氏の顔つきは既に私達が良く見知ったものになりかけていた。
「カバンに入れずに置いてきたもの」に対する「Ностальгия:ノスタルジア/郷愁」が求められる歌になった。

この展開。
卑小なたとえ話をすることをタルコフ氏のファンとして先ず謝罪したいのだが、この展開を我々日本に生きる者は身を持ってよく知っているように思われる。
民主党政権が調子の良い絵空事をマニュフェストとして喧伝したときに、実に日本人の約8割が支持をした。そして、半年も経過した頃、騙された半数の日本人はその事実に気が付きつつあった。そんな中、我々は2011年3月11日を菅総理と民主党内閣の元で迎えることとなったのだ。この傷跡は3年経った現在すら癒しがたく、
2014年現在もいびつな傷口の疼きは続いている。
因みに、チェルノブイリ原子力発電所の事故は1989年に発生した。
この日本の辿った何もかもが、タルコフ氏の生きた時代と似ているように思われる。


「涙の国」の「しぶとい暴君」との戦いの中、РОССИЯは作られた。
これは、「国家に騙された一人民」が、神の御前で「国家の罪」を告発し、糾弾する構成になっている一種の歌劇である。告発者は、「騙された罪」を自ら認め、現世の主である「国家」の罪を「一人民」が大声で暴き糾弾することについての罪からも逃げない、ただひたすら「神」にのみ赦しを乞う、というスタンスで、手を後ろに戒めた「罪人」のスタイルで歌われる。終幕に、処刑場をイメージした階段を上り、最後に振り返り観客(ソ連人民)の罪をも激しく問う。
こういった凄まじい構成になっている。
初めてこの歌を聞いた時、何という激しく厳しい歌を作るのか-個人の身で作りえる規模の歌であるのか、という、強い衝撃と深い感動を受けたことを私は忘れない。
3年間の戦いが、タルコフ氏の精神を此処まで鍛え、高めきったであろうことは既に理解した。
しかし、個人の幸福や望み、夢や希望はこの人には無かったのだろうか?と考えた時、
どうしても時代の特異点としてのあの歌「Саквояж」が高らかに響いてくることも人として私は否めないのだ。



彼にとって相応しい言葉であるのかどうか自信は無いのだが、
どうしても
「人間を返せ」
という言葉が私の中に去来してならないのである。
「政治」の持つおぞましい力と無情さへの憎悪と共に・・・。



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