

私達の心に"戻ってきた"イゴール・タルコフ・・・1
私達の心に"戻ってきた"イゴール・タルコフ・・・2
私達の心に"戻ってきた"イゴール・タルコフ・・・3
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「Игорь Тальков : Последний день жизни」
(イゴール・タルコフ:人生最後の一日/駅での出発から暗殺直後の救急搬送まで)
00:00~08:14 当日(1991/10/6)のインタビュー動画
08:15~12:32 コンサートの中止を告げるメンバーの宣言~搬送
挿入歌:Ностальгия:ノスタルジア
タルコフ氏の作品レビューを読み進めると
老若男女の区別無く様々なレビュアーに「英雄」と呼称されていることに改めて気付かされる。
彼は我が身を省みず、人民の敵を糾弾し、聖愚者として権力にまつわる全てを告発し、
遂に「ロシア連邦」の建国を見ることなくソ連人のまま暗殺された。
才能に溢れ、弱者全てに優しいまなざしを注ぐタルコフ氏の死はとてつもない「悲劇」であり、
確かに「英雄」の成立要件を満たすようにも思われる。
しかし、彼の「死」そのものが告発し、生命を投げ打って糾弾したものの正体は、
嫌が応にも1992年の新ロシア国民-「西側」社会の新入生は
「資本主義生活」そのものの残酷さとして骨身に染みて理解させられたのだ。
圧政で知られたソ連でさえも、イゴール・タルコフ氏に歌うなと命じることは無かった。
「意見」としての軋轢はあったが、
強制的な権力で活動することを禁じ、命を脅かすことは無かったのだ。
個人に歌うことを禁じ、命まで奪う怖ろしいものの正体とは何であったのか?
イゴール・タルコフ氏に「歌う」ことを禁じたものの正体、
それは-他ならぬ「西側の資本主義社会」であり、
圧倒的な暴力でもって彼の活動を永遠に停止させたものは「ユダヤ人」だった。
1991年のソ連人が1992年の新ロシア人になるにあたり、
最も警戒し注意を払わなければ生活が破滅させられるものに対して、
タルコフ氏が生命を投げ打って最後の警鐘を鳴らしたとすれば、
彼はやはり「英雄」そのものなのだ。
イゴール・タルコフ氏の「悲劇的な死」は、資本主義社会での日々の暮らしを送る上で、
彼を知る多くの人々の胸中「英雄の死」として昇華した。
暗殺者のもくろみとは裏腹に、彼の歌声と生前の姿-特にその強いまなざしは、
死者と生者・過去と現在の区別無く聞く者の心に突き刺さり、
彼は「生前」よりもより一層強く激しく多くの人の心に「生きている」。
"遺作は高く売れる"などと品の無い言葉は選びたくはないが、
「Я вернусь:私は戻ってきます」 はありとあらゆる意味を含めて
現代を生きる私達の心を撃ち抜く「弾丸詩人」の代表作となっている。
当時の映像に重ねて、2番をタルコフ氏の息子が歌い、
3番を全員が重ねて歌う企画が放映された。
スタジオに居る全員のイゴール・タルコフ氏とその息子への想いが強く伝わってくる構成になっている。
私達の感想となり恐縮なのだが、当時のビデオのタルコフ氏の目を見ていると、
まるで魔法にかけられたような不思議な感覚に陥ることがある。
言葉が聞き取れなくても、何を言っているのかはっきりとわかるような、
特別な目の力があることが信じられてしまうのだ。
このように強い目(まなざし)を向けて歌う人を私達はタルコフ氏以外に知らないし、
今後彼のように歌う人に巡りあえる気が全くしないのである。
ソ連と共にこの世を去ったタルコフ氏の後に、
様々なアーティストが自らの音楽活動として政権批評詩を発表した。
これは外国人の目から見れば、ロシア人歌手は尽く政治活動に携わるようにも見え、
政治に寄り過ぎる歌手は「嫌われる」畏れもあったのだが、
彼らがその「伝統」として一層権力を恐れなくなったことは、
ある意味国民にとっては幸せであったようにも私達には感じられる。
しかしながら、批評詩を行うことはタルコフ氏の一面にすぎず、
ある一面では彼は熱烈な愛国者でもあった。
「РОССИЯ:ロシア」を歌ったタルコフ氏。
34歳で暗殺された彼の遺作はもうこれ以上増えることは無いのだが、
もしかしたら彼が本当に歌いたかった曲、作りたかった曲は、
この曲-ロシア国歌ではなかったのだろうか?と、時折私達は真剣に考えてしまうのだ。
タルコフ氏の歌は時代の境目を象徴する歌が多い。
※以下の2曲は後日、歌詞を全翻訳します。
「А теперь мы с тобой притихли:今まさに我々は沈黙しています」
「В океане непонимания:誤解の海の中」
時代の境目とは、とかく苦しく悩ましい出来事が煩雑にあるものだが、
そんな時代に寄り添うタルコフ氏の歌は、
年代と国を越えて「共感できる」ものが多いのだ。
特に日本に住む者-「9条」という保護施設を飛び越えて、
まるで1991年のソ連人が西側社会から資本主義の洗礼を受けたように、
国際紛争社会の荒波の中に「放り出される」私達には格別の意味合いがあるように感じられてならない。
