私は以前、肉瘤の発達する出目形態の金魚を「龍眼」として紹介していた。
ところが、この項を書くにあたり、様々紐解いてみると、
些かの間違いであったことに気付く。
些かとは、上記形態が”龍眼は龍眼”で間違いは無いのだが、
私の解釈が間違っていたのである。
中国では、両眼が突出した形状のものを総じて「龍眼」という。
例えば、蝶尾であれ、獅子頭であれ、珍珠鱗であれ・・・
その形態の一つが出目であれば、
その品種呼称には全て「龍眼」という二文字が加えられるのである。
「龍眼」
私は「肉瘤のある出目形態のもの」、のみの呼称と思い込み、
安易にそれを活用していた。
今更なのだが、本稿をもってここに訂正し、
お詫び申し上げたく一筆させて戴きます。
”目”を表現する中国語(漢字)が幾つあるのかは正直わからない。
辞書を紐解いて少し数えてみても、20以上はすぐにみつかってしまう。
”目”そのものを示す単語も実に多彩である。
代表的なものに、「眼」と「睛」がある。
”眼睛”は両眼という意味で使われているが、
それはフレーズ的な意味で”両”眼なのであり、
漢字単体で、”眼”と”睛”はほぼ同義で「目」という意味なのである。
中国語には、大変”同音・似音”の単語が多い。
四声分類(発音のアクセントにおける4つのパターン)の大別をしてさえ、
全く同じ発音になる単語は数限り無くある。
そのような言語感覚の元、古来より中国の人々は、
言葉遊びの範囲を超えて、同音異句を重ねた文章や、
更には漢字の部首を増減させて文章の意味を変じたり、
或いは強調したりすることを、文化的であるとして非常に喜んだようだ。
似た意味を持つ漢字が沢山あるとき、どの漢字を選択するかは、
①直前の漢字の音(よみ)に同じもの・似たものは無いか?
②部首の画数を増減して、文章全体の意味を強調(反転)するものはあるか?
が、最重要ポイントとされることが多い。
これらを鑑みながら、「龍睛」を捉えてみると、
”龍”は、中国の伝説に於いては、語るまでもない大吉祥の象徴である。
伝説上、龍には様々な性質が見受けられる。
多彩な伝説の中で一貫して語られる特質として、「魔除け」的側面があり、
このことを念頭におきながら、何故、「眼」ではなく「睛」が選ばれたのかは、
龍の持つ魔除け的側面に大きく依存しているように思われる。
”睛”(jing)は、部首を一つ落とすと、”晴”(qing)になる。
”晴”は、日本語のニュアンスだと、天気や空模様を示す言葉なのだが、
中国語では更にそこに”光で照らす”という意味が加わってくる。
雲間から瑞光(めでたいとされる五色の光)と共に現れ、
その眼差しで魔を祓う龍の姿を思えば、
相応しいのは”眼”ではなく、”睛”だったのではないだろうか・・・・・
中国金魚図鑑・P109、”龍睛”の解説には、
”この形態の金魚の両眼は、伝説上の”龍”の眼にとても似ている。
両眼は眼の縁の外に突出しているので、この名前がついた。
古来より、”龍睛金魚”は、最も正統的中国金魚と看做され、中国の金魚愛好家達に殊の外喜ばれ、深い愛情を受けてきた。日本に於いて、この形態は、”中国金魚”と呼ばれている・・・・・”
と、あるのだが、
この解説を見ても、中国においてこの品種がとても重要視されていることがわかる。
こうして、品種にあてられる単語一つ一つの意味を紐解いて見ると、
品種個々における”文化的情景”が見えてくるのである・・・・・
次回予告 鶴頂紅