ハンス・ロットの交響曲第一番。ドイツ・グラモフォンが取り上げた2019年録音です。ヤクブ・フルシャ指揮のバンベルク交響楽団。1858年に生を受け、1884年に生を閉じました。わずか25年の生涯です。マーラーの生年1860年にも近接する作曲家です。師であるブルックナーは才能を愛で、マーラーも賞賛していました。短い生涯も晩年は自傷行為が繰り返され妄想の世界にありました。作品は少なく晩年に破棄されたものもあります。演奏の機会も限られてきました。奇しくも日本で、このマイナーな作品の演奏が重なる年がありました。通常なら、失われてしまうであろう無名の音楽です。ところが死後、百年を経るころから再浮上してきました。ロットの再評価は作品で集客できるところにきています。今ではセーゲルスタム、パーヴォ・ヤルヴィといった演奏も登場しています。今後も万人が知る作品となるには時間がかかるでしょう。当盤は、マーラーの交響曲第一番から最終稿から排除された「花の章」、ブルックナーの交響的前奏曲をあわせています。ロットの音楽はまさにブルックナー、マーラーと交響曲が受け渡されている中に生まれました。ブルックナーはロットの亡骸を見送りました。いつか、花開くと信じていた才能です。ブラームスは自己批判が強い作曲家でした。同時に、厳しさは他者にも向けられ辛辣な評を述べるのです。マーラーがウィーン楽友協会のベートーヴェン賞に「嘆きの歌」で応募。ブラームスは審査員の中にいました。ブルックナーも大蛇にたとえれました。ロットにはより直接的に「才能がない」とされ、深く神経を傷つけられることになるのです。ロットの作品は真価を認めた同士が残された数少ない作品を保存しました。フルシャはブルックナーの教師としての役割を調べていてロットの名に行き当たります。マーラーの評伝の一つ、バウアー=レヒナーの『グスタフ・マーラーの思い出』にロットの交響曲について触れられています。

 

こうした作品の真価は文章だけでは絶対に伝わりません。マーラーはロットから引いたものを自作に挿入しました。ロットはマーラーと同時代人であり、当時のほとんどの人が認めるのにはあまりにも異質な交響曲世界をつくりました。この先見性は二十歳の若者の手になるものでマーラーに先行するのです。

 

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