ヨーゼフ・クリップスのベートーヴェン。特に迫真の音響で知られる第九交響曲。全集からの一枚です。60年の録音。管弦楽はロンドン交響楽団です。ウィーン出自でナチス政権に協力しなかった音楽家の一人。戦後のウィーン・フィルハーモニー管弦楽団とザルツブルク音楽祭を支えることになりました。復帰組が現場に戻ってくると、クリップスをはじめとした指揮者は国外に活動の拠点を見出し去っていったのです。米エヴェレストは一般的なテープより密度の濃い35mmの磁気フィルムを使用し、アメリカの優れた音響でベートーヴェンの交響曲としてまとめ上げました。当盤は原典のテープからのリマスタリングです。収録はロンドン、アセンブリー・ホール。ヨーゼフ・クリップスはウィーン・フィルハーモニー管弦楽団と録音した「ドン・ジョヴァンニ」で有名です。これはやはりウィーン出自のE.クライバーの「フィガロの結婚」とともにウィーンを強く感じさせる演奏です。ベームの「コジ・ファン・トゥッテ」「魔笛」ものちに再録音された作品もまた原点にあたるものです。管弦楽はロンドン交響楽団であってもクリップスのモーツァルト、ハイドンといった演奏はウィーン的な優美さをまとったものでした。楽器を歌わせることへの信念は、人間的な響きを引き出しています。ベートーヴェン的な厳しさと荒々しさはあまり聞こえてきません。クリップスのライナーは第一楽章、第二楽章に死を通しての戦いを見ていると記しています。音楽の背後にあるものを記すのは危険が伴います。それでも声楽を導入し、人間の声が「このような響きではなく」と告げ、精神について描くことへと進んだ第九交響曲には、こうした精神世界について述べることは許されるものでしょう。ベートーヴェンの時代には原典を尊重しての全楽章を演奏するといった機会も稀なものでした。クリップスは当時の最も優れた解釈者であったワインガルトナーに学びました。伝統的なベートーヴェン演奏は継承されていきます。自由にシューリヒトの言葉を引くと「壮大な建築的な構築。終楽章は天空への入り口であり、ベートーヴェンは全編を通じて人間の解放を歌っている」といった旨のことを述べています。特に第三楽章は深い。第四楽章で解放に向かう前の三つの楽章は、明瞭な終楽章に比べ晦渋です。

 

ワーグナーはこうした第九交響曲の劇性を自身の楽劇への創造に繋げていきました。第五交響曲を「運命」ではなくハ短調交響曲と音楽で構築されるものを見ることはできるでしょう。また「苦悩から歓喜へ」といった劇性を見ることも可能です。クリップスの柔和も、ベートーヴェンのメッセージを大きく引き出したものです。

 

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