2019年録音。ゲルネのドイツ・グラモフォンのリートのプロジェクト。第一弾となったベートーヴェンの歌曲を集めた一枚です。ピアノはヤン・リシェツキ。2018年、ベートーヴェンの生誕二百五十年に向けて協奏曲録音を担ったピアニストでした。若きピアニストによせるレーベルの期待は大きく、ベートーヴェンという繋がりでの歌曲伴奏です。古典の時代のリートは実りが乏しかった分野です。ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン。いずれも創作の中心からは遠いところにあります。ベートーヴェンの創作の中心は交響曲、ピアノ・ソナタ、弦楽四重奏曲という三つの分野でした。他には、協奏曲、ピアノ三重奏曲、ヴァイオリン、チェロのためのソナタ、歌劇のフィデリオ、ミサ・ソレムニスという大部の作品がそれぞれの分野に聳えるものとなっています。生涯を通じた作品集とも言えるのは労作の数々。モーツァルトの流麗に対し、ベートーヴェンでは時間をかけ素材を練り上げ努力の末に積み上げられていったものでした。歌曲では旋律という最も作曲家の顔が見えるところです。ベートーヴェンの旋律、「悲愴ソナタ」の第二楽章、第九交響曲の歓喜の主題などは人口に膾炙した旋律でしょう。メロディストとしても展開することができたのです。残念ながら、歌曲の分野での興隆はロマンのシューベルトを待たなくてはいけません。シューベルトの歌曲を享受することができた都市部に集まり始めていた市民階層でした。貴族という後ろ盾、パトロンが必要であったベートーヴェンの時代は、まだまだ宮廷器楽に重きを置く必要がありました。そういった意味では、傑作の集成とはなっていない分野にも忘れ難い佳曲はあります。初の連作歌曲集ともいえる「遙かなる恋人に寄せて」は後期の直前の作品です。シューベルトとも時代を接し、ロマンの先駆ともいえるベートーヴェン。流れるような旋律ではなく、一歩いっぽ推敲しながら進める方法をとりました。構成、配置といったところに留意していったのです。

 

当盤は作品48の六つの歌曲に、遙かなる恋人に寄せるというまとまりに、アデライーデといった有名曲を収めています。ゲーテなどとも直接的な接点のあったベートーヴェン。歌詞の採択も独自の選で意識的に行いました。民謡素材での検証などの試行が行われました。整然とした器楽が大きく聳えるのに対し、小さな世界です。市民へと音楽を享受する層が移っていく。ロマンの入り口にあったベートーヴェンの歌曲は、そういった時代を映しています。ゲルネがここから始めたのは、ここに歌曲の始まりを見たからです。歌唱は瑞々しい。

 

人気ブログランキング
人気ブログランキング