ウェーバーの魔弾の射手。堅実な定番の一つであるカイルベルト指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団による58年盤です。吉田秀和は「『魔弾の射手』全体が、ドイツ人にとっては、子供のときから耳にたこのできるほど、きかされ、唄わせれてきたものが多いのだろから、今さら、それを舞台の上でやられても、よほどセンチメンタルな人間でない限り、やりきれない思いがするらしい」。これはフルトヴェングラーの54年のザルツブルクでの上演でのもので「花輪の歌」の印象を述べた文に連なるものです。54年のステレオと謳われた「魔弾の射手」の音源が往年の指揮者の演奏を伝えます。カイルベルト盤も、50年台のもので、ヘルマン・プライの領主。アガーテにはグリュンマー、マックスにはルドルフ・ショックという重鎮が揃います。ドイツ人にとっては、今さらと思われる作品も、日本人にとっては今なお典型的なドイツ・ロマンティック歌劇なのです。モーツァルトの「魔笛」に発し、ウェーバーの「魔弾の射手」を経て、ワーグナーの楽劇に至るという道。残念ながら、ウェーバーの本作以外の作品や、有名なフロトーの「マルタ」やオットー・ニコライ「ウィンザーの陽気な女房たち」、ロルツィング「皇帝と船大工」にさえ焦点が当たることはあまりありません。シューベルトの歌劇を発掘して喜びを得る機会は少ないでしょう。「魔弾の射手」の描かれるところは森で、ホルンの音色が生かされます。「狩人の合唱」もまた宴に相応しい。民謡風の旋律など、至る所にドイツ音楽が連なります。舞台上に本物の動物を出すか否かが問題になったりしますが、本作はいまだに古い演出を残すものが多い作品です。物語は悪魔との取引があり、狼谷というおどろおどろしい場が登場します。源泉となったのは妖怪譚です。ドイツの重鎮、カイルベルトで聞けば収まるところに収まるという演奏です。指揮者の才知で、たくみに誘導するというよりも、すでに連続的に連なっている作品の鋳型を確認するかのような演奏です。作品といえば、悪魔と取引した許されざるはずのマックスが隠者の鶴の一声で許されるという唐突な終結に問題があります。ワーグナーであったら死による救済で解決するかもしれません。

 

音楽はワーグナーに連なる道を辿れるロマン的な内容。優れた演奏であれば、本作からワーグナーが吸収した内容を見出せるでしょう。狼谷さえもグロテスクな音響ではありません。カイルベルトがドイツ歌劇上演で果たした役割もとても大きいものでした

 

人気ブログランキング
人気ブログランキング