2002年、ミュンヘンで録音されたマイスキーのメンデルスゾーン作品集です。二曲のチェロ・ソナタ、協奏的変奏曲と、ほぼチェロとピアノのための作品を網羅しています。ピアノはベネズエラのセルジオ・ティエンポ​​。これが初の共演となりました。当盤では無言歌集を編曲した七編をあわせています。チェロとピアノのための無言歌 ニ長調 作品109, MWV Q 34もおさえているので、この編成のための四作品全てです。早熟であったメンデルスゾーン。ロマン派にあって古典的な均衡を保った作風でした。器楽、特に、室内楽の分野にも作品は多いのです。13歳でピアノ四重奏曲が生まれました。61年、カザルスのホワイトハウスでの記録にはメンデルスゾーンのピアノ三重奏曲第一番が取り上げられていました。これは憂愁のチェロから始まります。チェロ・ソナタに限らず、この楽器を生かした印象的な場面はいくつも登場します。シューマンはチェロ・ソナタ第一番を絶賛しました。こちらは1838年の作品です。ライプツィヒにあって多忙な時期でした。シューマンもロマン的な叙情を評価したのです。ベートーヴェンの時代のチェロ・ソナタはピアノにチェロのオブリガードを付すといったところから出立しました。ロマンの時代はピアノの音量は増大し、ピアノを活用した室内楽が量産されます。メンデルスゾーンの作品もピアノ・パートが縦横に活躍します。

 

メンデルスゾーンは四人兄弟の二番目でした。姉のファニーは女性作曲家、演奏家の先駆者です。弟パウルは実業家として成功するのですが、チェロ・ソナタ第一番、協奏的変奏曲の二曲は、このパウルを念頭に書かれています。協奏的変奏曲は1829年の作品。この時、パウルはまだ16歳でした。チェロの技巧は抑えめであり、ピアノはやはり縦横に活躍します。二番は1843年という円熟期の作品。ここで友人のチェロ奏者ピアッティの助言を入れることになりました。いずれも、隙のない構造で、ロマン的情緒を発散する演奏効果も高い作品です。当盤では無言歌も収録しています。本来、ロマンの歌う性格は、楽曲形式に馴染まないものでした。シューベルトの歌曲などと同様、この旋律も明瞭な性格小品はロマン派のうちにも育っていったのです。品位と均衡を保つメンデルスゾーンは小さく扱われることがありました。こじんまりとした作品をつくる作曲家とみなされることもあったのです。ティエンポのピアノは情緒に対応し、発散するものも大きい。マイスキーの音色を包み、ピアノが活躍する作品という印象をより高めています。

 

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