オッフェンバックの「パリの喜び」。76年のロザンタール編で知られたバレエを自身が指揮したものです。決して古すぎない録音にもかかわらず、パリの華やかさを鮮やかに再現する音源です。カラヤン、小澤征爾、プレヴィン、デュトワといった録音よりも懐古的で、パウル・シュトラウスの58年の録音などにも共通するトーンを持っています。フレンチ・カンカン。浅草オペラ、ベニスの舟唄といった懐かしさを伴うものです。ロザンタールは96年に同じモンテカルロ・フィルハーモニー管弦楽団​​を率いて再録音しました。この時、92歳。この「パリの喜び」はオッフェンバックの名を「天国と地獄」序曲などとともに、今なお伝えることに貢献した素晴らしい編曲なのです。天国と地獄の序曲も、ウィーンでのオリジナルにはなかったもので、カール・ビンダーが付したものでした。オッフェンバックの音楽は大衆消費財的なものでした。死後、忘却の中に埋もれることになります。ドイツ(プロイセン公国)に生まれ、フランスで活躍したドイツ人。ロッシーニはシャンゼリゼのモーツァルトと評しました。マイヤベーアはしばしばオッフェンバックのパロディの標的になりました。それでも事あるごとにオッフェンバックの才能を讃えていました。ワーグナーがパリに赴いた時にマイヤベーアの圧倒的な存在がありました。マイヤベーアもパリで活躍したドイツ人。名士たちはパリに集い、その好みに沿った音楽が消費されたのです。当時の大作曲家であったマイヤベーアの「ユグノー教徒」といった代表作の録音の点数も限られたものでした。光が当たるようになったのは近年の事です。ともにユダヤ系ということもあり、ワーグナーの批難をはじめ不遇な時代がありました。パリの喜びは38年、モンテカルロ劇場で造船されました。パリのカフェを舞台に新たな脚本が組まれました。オッフェンバックのオペレッタを素材に、音楽が編まれたのです。オッフェンバックは言葉の扱いに慎重でした。常に言葉を聞き取れる編成が組まれています。言葉を伴わないバレエでは、特徴的な金管楽器で煽る方法が効果的です。リズムも特徴的で、速度感を持ったもの。バレエの素材としても適したものでした。オッフェンバックはパロディや風刺をいくつも盛り込みましたが、自作も他者の手で、こうして再編されるとは思いも寄らなかったでしょう。ロザンタール編出あってもオッフェンバックの音楽そのものを堪能できるものです。

 

ラヴェルの友人でもあったロザンタール。音楽はパリの風景に溶け込み、徹底的にわかりやすい作品は、巧緻に組み立てられたものです。接続、抜粋、継ぎ目を気にすることのない楽しさ溢れる音楽。光の都であったパリは光に彩られ、華やかな音楽が人の目を引きつけました。雰囲気溢れる演奏です。

 

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