ジェラール・スゼー。フランスのバリトンがドイツのリートを歌った一枚。シューベルトの「美しき水車小屋の娘」。ダルトンボールドウィンのピアノ、フィリップスに収められた64年盤です。スゼーはフランス産メロディの歌い手として名高いスペシャリストでした。同時に、ドイツ・リートの歌い手であり、コルトーのピアノのもとでのシューマン「詩人の恋」といった優れた成果を残しています。シューベルトも高い評価を受けたもので、「美しき水車小屋の娘」の牧歌性を明晰に解いていきます。テノールで歌われることも多い歌曲集です。そこには、叙情が重要な要素としてあります。失恋による心の痛み。「冬の旅」では失恋は最初からあります。そこからさすらう冬の荒涼とした風景。「美しき水車小屋の娘」では娘への恋と、恋仲になるところも描かれます。恋に敗れ自殺というやはり悲劇で閉じていきます。いくばくかの救いがあるのは「水車小屋の娘」です。どちらも連作として物語的な背景を持っています。同じ、詩人、ヴィルヘルム・ミュラーの詩で紡がれた音楽です。シューベルトとミュラーは同時代人でした。シューベルト三十一、ミュラーは三十二歳で亡くなっています。ロマンの時代にあって、文学、詩的な要素と音楽を結びつけることの先駆となりました。「詩が先か、音楽が先か」という話があります。多くが前提となっている詩に音楽をつけるわけです。詩を映し、ピアノは川の流れを描写し、若者の心象となる背景を描いていきます。フィッシャー=ディースカウが追求したのはその詩とあわせた表現にありました。シューベルトの旋律と感情表現は、旋律的な要素を損なうことがないものです。歌が生まれた背景には詩があります。そこには音楽とは離れた「語り」の要素があります。水車小屋の娘では、言葉をリズムに散りばめることがあります。その中でも旋律的な要素は損なわれません。そういった意味で音楽が主導する作品です。スゼーの発声、言葉について異論があるかもしれません。旋律線は明瞭で考え込むような詩ではなく、美しく流れる音楽なのです。シューベルトは何よりメロディストであったことが理解されるでしょう。

 

夢破れる「冬の旅」にあっても、深刻、陰鬱といった解き方ではないものが見つかるかもしれません。連作歌曲としてはベートーヴェンの「遙かなる恋人」が先行しました。詩とピアノ伴奏を文学的な要素も音楽と合わせるのは、のちのシューマンです。シューベルトの連作歌曲は劇的な音楽です。大仰な身振り、大掛かりな仕掛けをともないません。器楽奏者が旋律を自身の楽器に移して演奏することがあります。詩の世界に対応した表現などなくても、成り立ってしまうのも音楽です。歌を抽出したスゼーのあり方は健全なものでした。

 

人気ブログランキング
人気ブログランキング