89〜90年録音。キャスリーン・バトルの歌唱、イツァーク・パールマンがヴァイオリンのオブリガードを付してのバッハ、アリア集です。ジョン・ネルソンの指揮聖ルカ管弦楽団。ロ短調ミサからのアリアを除けば教会カンタータ、世俗カンタータからのアリアで成っています。本来ならポリフォニー、多数の声部で織り上げるバッハの音楽は歌の背後にある管弦楽も雄弁な音楽を構成します。ここではバトルの清涼な声に焦点を合わせて明瞭な旋律線を強調した演奏となっています。現代的な美学に寄せた演奏。昨今のバッハ演奏の率直さにあるものとは対称的です。バッハの教会カンタータ演奏は、ギュンター・ラミンの時代の録音でも峻厳なものでした。バッハは歌劇を書きませんでした。世俗カンタータは小さな劇のような内容を持ち、演じられるドラマを含んだ作品があります。現代に寄せた演奏で聞けば、旋律的な要素は多声だけではなくメロディストとしてのバッハも浮かび上がります。パールマンのヴァイオリンも歌の背後に寄り添います。主役はバトルですが、協調性を保ったまま存在感を放っています。バトルの歌唱もロマン的な情緒を漂わせるものではありません。黒人的な粘性もなく、美しいフォルムを保ったものです。編成は小さくロマン以降の歌劇のような響きではありません。レガートの傾向がありリズムの刻印を刻む昨今の演奏とは異なります。それでも美麗なBGMとしていないのは節度を保ったバッハの音楽の骨格がしっかりとあるからです。オルガンの響きや、パールマンのヴァイオリンは陽性です。戦後のバロックブームはロマンの香り漂う演奏を生み出しました。バロック的な響きを模して安直な編曲も横行します。当盤もそういった企画の延長に生まれています。編曲、さらに演奏によって良いものもあるし、安直なものも生まれる。バトルの選曲は安易に有名なアリアだけを抜いたものではありません。そのためにバッハの音楽の新たに接する思いを得るでしょう。

 

メトではバトルは若干の問題児です。仕事のしにくさでも知られていました。それはメトでの輝かしいヒロイン役、歌劇を牽引するという重圧も影響していたかもしれません。結果はともかく凛とした精確な歌唱。声質は澄んで通常の名唱集のように接することもできます。その歌唱は周囲の喧騒を蹴散らすほどの内容を持っていました。パールマンの音色もよく溶け合います。本来は二人の顔を並べた時点で、二つの旋律を絡ませる展開となるものです。実際は、よく歌うヴァイオリンはアンサンブルを引き立たせます。声の活用は楽器の在り方を理想にして発展を遂げたという過程がありました。音程の正確やアンサンブルに溶け合う清澄な声は音楽的でした。

 

人気ブログランキング
人気ブログランキング