2007年録音。グルックのシンフォニア集です。ミヒ・ガイッグ指揮オルフェオ・バロック管弦楽団。1714~1787年というグルックの生涯。特に歌劇では論争となったオペラ改革で有名です。有力な歌手が力を握っていた時代です。そのために長大な音楽が流れ劇の展開が冗長になることもありました。劇の流れを台本と作曲者に戻し劇の流れを音楽と一体のものとすることに注力されました。音楽史としては重要な出来事もグルックの改革は完全に音楽界を席巻するというには遠いものでした。グルックの音楽の真価を見出したのはロマンのベルリオーズとワーグナーでした。特に歌劇の作法としてはワーグナーの楽劇の先駆とみなされています。歌劇といえばイタリア歌劇という時代。ロッシーニはパリに向かい(1824年)フランスも歌劇の興隆の地でした。パリはマイアベーアが席巻し、ワーグナーは庇護を受けたにもかかわらず邪推(1839~42年)。簡単に言えばドイツは歌劇としては後進国でした。ワーグナーはドイツ歌劇の比重を飛躍的に高めました。ドイツ系を自認して少なからぬジング・シュピールを書いているモーツァルトもフィガロやドン・ジョヴァンニ、コジ・ファン・トゥッテといったイタリア語が主流でした。モーツァルトの「後宮からの逃走」、「魔笛」、ベートーヴェンの「フィデリオ」、ウェーバーの「魔弾の射手」を経てワーグナーに連なる道の発端はグルックのオペラ改革にあるのです。1714年という生年はC.P.E.バッハと同年です。グルックにはドイツ語歌劇作品はありません。グルックの作法は歌劇は国民、民族問わずに世界に浸透するものだったのです。
グルック理解のほとんどが歌劇作家としてのものです。まだまだ器楽分野の役割は広く認知されたものとはなっていません。このシンフォニア集は、グルックの交響曲へつながる道を辿ることのできる一枚です。グルックのシンフォニアの作曲年代は不詳です。交響曲の起源説明としてイタリアのオペラの序曲がシンフォニアと呼ばれ、サンマルティーニが演奏会用のものとして用いたとされています。このサンマルティーニこそグルックの師でした。グルックが主に学んだのが歌劇の流儀です。先述のようにグルックの作法は特定の民族を問わずに世界に浸透するところにありました。言葉を伴わない抽象性。器楽にこそ発揮はされていますが、黎明期のシンフォニアに、音楽的な硬度は伴っていません。のちのハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンに成長が紡がれていくのです。

