ヘレヴェッヘのバッハ。ライプツィヒのカントルに就任しカンタータが量産されました。復活祭に向けて作曲されたのがヨハネ受難曲。何度も改訂され再演された作品です。ほとんどが1749年稿で演奏される作品。改訂が繰り返される度に初稿に近くなるという複雑な経緯をたどったとされています。ヘレヴェッヘの用いたのが1725 年の改訂稿で1724年の初演に続くもの。2001年の録音は、この改訂稿に元ついたものとして話題になりました。1749年稿、通常、聞く冒頭合唱にかわり、第1部終曲が冒頭にくる。ヨハネ受難曲は、マタイの瞑想的な雰囲気に比して、劇的とされることがあります。通常、聞く冒頭合唱がないだけで印象は大幅に変わるものとなります。かつてのリヒターの演奏などに代表される全体の劇性は全体を共通の重さが流れるものでした。その中でもリリング、ロッチェ、コルボといった合唱指揮の系譜の中では、もっと抒情的なところに焦点があたっていました。受難曲は、受難劇に端を発し演じる要素をもった作品です。バッハがヨハネ受難曲にほどこしたコラールはイエスの死がもたらしたものに対しての省察をうながします。マタイのピカンダー台本に対して、ヨハネの台本作家は不詳。改訂が多くあるように、上演という実演性のもとに楽曲が配列され、編成が考慮されました。ヘレヴェッヘ盤の1725年稿は、初稿からは遠いところにあります。違和感をもたらす聞きなれた冒頭合唱を欠くものですが、作品のコラールの意味づけは大きく、劇性とは別にマタイ同様沈潜したコラールが深い印象を与えることを気づかせるものとなっています。

このとき、すでにヨハネ受難曲は87年に続く2回目のものでした。さらに2018年も改訂稿を基調とした3回目の録音も慣行されることになりました。2回目にあたる当盤でのカウンター・テノールのアンドレアス・ショルが起用され、福音史家がマーク・パドモア、他の歌手も充実しています。このとき、すでにイエスのミヒャエル・ヴォッレの声も威圧的なものではありません。神聖という名のもとに、上に君臨し厳しい視点で見下ろす存在ではなく、人とともにある存在です。コラールは、この受難という非道を目撃する参列者の視点です。ヘレヴェッヘの内省的なものは、あえて1725年稿を用いることで、ヨハネ受難曲像に変革をもたらすものとなりました。カンタータをはじめ、全曲をとりあげることはなく、審美にかなった曲目を録音してきたヘレヴェッヘ。とくに近年は、ますますその傾向が強く、その中でも3回目の録音が行われたのは、作品への強い思い入れです。冒頭をのぞけば、すぐに受難劇の中に没入することができるでしょう。静かな中にも、通常ヨハネ受難劇からくる劇的な福音史家、合唱といった展開も、新たな視点でひじょうに微細に織られています。

 


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