58年録音。スターンのバルトーク、ヴァイオリン協奏曲第2番の録音です。バーンスタイン指揮のニューヨーク・フィル。LP期、表記にバルトークの協奏曲とあったのは今日でいう第2番。終戦の年に世を去ったバルトークですが、27歳の時に交際があったヴァイオリニスト、ゲイエルにスコアが贈られていた第1協奏曲がありました。恋愛という関係から、このスコアは一度も日の目を見ることなく埋もれることとなりました。ゲイエルが亡くなったのが56年。遺稿が発見され、パウル・ザッハーに遺贈され、シュネーベルガーのヴァイオリンによって初演。スターンは、この作品を初演者からの依頼で再演させ、世に広める契機としました。こちらはオーマンディの指揮の録音があります。これらを併せての編集盤もあります。

 

ユダヤ系アメリカ人。20年生まれのスターンは、後進を多く育て、自身も精力的に録音を残しました。それらは強靭さと、大きさが印象に残るものですが、70年代から80年代の印象と、50年代のものは大いに違います。ステレオ初期。録音の技術はアメリカから生み出されたものです。ロシア革命はラフマニノフをはじめ、多くの才能をアメリカに渡らせました。たとえばハイフェッツがわたったのも、その革命の年の17年。カーネギーホールでアメリカデビューを果たすと、そのまま亡命してしまったのです。こうした音楽家がアメリカの録音技術に出会い、新興の国アメリカにヨーロッパを伝えた。それは物量であるとか、再現性といった力を借りて、音価するレコードという媒体に力を注ぐことになりました。

 

スターンも生まれこそウクライナですから、ヨーロッパ出自ですが1歳の時に渡米。アメリカ出自の才能のデビューは戦時中の43年でした。まだまだ演奏自体が珍しかったベルクやヴェーベルン。そこにバルトークやストラヴィンスキーといった先端の曲目。それらはヨーロッパの伝統といったところとは別に、技術の精確を白日のもとにさらす効果がありました。アメリカの音楽家が積極的にこれらに取り組んだのも意識的だったわけですが、こうした録音は即物的なだけでなく禍々しさをも孕んでいます。のちの録音では、はるかに人間性あるいは、緩ささえも感じさせることとなったスターンのこうした曲種は硬質で、バーンスタインの自身も作曲家であった知的な面も決して分析的になることがありません。20世紀出自のヴァイオリン協奏曲。バルトークの第2協奏曲も37年の初演と間がなく、まだまだ古典というより生きた作品であった時代。今日では、その構成や筆致が堅固で純音楽的であるユニークな作品として知られる協奏曲のうちに、ドラマであったり、才気や覇気であったりを感じさせるものとなっています。

 

 


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