ヘンデル

81年録音。アイオナ・ブラウン期のアカデミー室内管弦楽団、ヘンデルの合奏協奏曲集作品6の全曲です。ヘンデルというバッハと異なった個性。劇性という特質はイギリスの歌劇の世界に活躍の場を見出しました。ゲオルクからジョージに。コスモポリタンでもあったヘンデルは正しくイギリス人です。そのオペラはイタリア歌劇の流儀をイギリスで再現することにありました。その真価は歌劇、そして、その人気が廃れてからのオラトリオにあるのですが、器楽の分野も見逃せないものとなっています。合奏協奏曲も分割されてオラトリオの幕間に上演された。作品は標題とは無縁ですが、劇場という空間を想定しての音楽です。器楽のモデルに置いたのがイタリアのコレッリ。合奏協奏曲、コンチェルト・グロッソはコレッリにおいて確立しましたが、ヘンデルの時代には独奏型の協奏曲が大勢を占めていました。イギリスにあってはイタリア人、ジェミニアーニが渡英し、コレッリとヘンデルを繋ぎます。ジェミニアーニの作品3が1733年、作品6が1741年。ヘンデルの作品3が1720年代、作品6が1739年の出版となります。ヘンデルの作品3が独奏楽器群のうちに管楽器が多く導入され、楽曲によって編成を変えているのに対し、作品6を貫くものは弦の響き。アカデミーもマリナー時代の68年に録音がありました。同年、カラヤンにも録音があり、大柄な響き。カラヤンのバロックは今日的にはモダンの端正というより、カラヤン流が端的に表れた独自のものとなっていました。バッハに次いで、ヘンデルに注力したのはリヒターでしたが、その作品6の録音は70年であり、アカデミーの旧盤が先行します。
 リヒターのものは、厳格で、その楷書の響きはヘンデルのうちにあるバッハとは異なった個性を確認できるものでした。アカデミーのものは当時から、小型を生かし、かつイ・ムジチ合奏団、イタリア合奏団といった弦主体のアンサンブルとは別の指揮者を置くというアンサンブルのまとまりで仕上げています。アイオナ・ブラウン期とはマリナーが創設した楽団。78年にブラウンに指揮者の座をゆずり、2004年にそのブラウンが亡くなるまでの期間。実質的には、マリナーは勇退後も関わっているわけですが、もともとヴァイオリン、指揮者として頭角を表すというよりは、弦のリーダーとして担ぎ出された。モントゥーに学んだという出自。コンサートミストレスというアイオナ・ブラウンの立場もマリナーの在り方とも符合するものでした。アイオナ・ブラウン期はまた、弦の雅の時代でもあります。これはリヒター流の男性的なものから、イギリス的な中庸に引き寄せた柔の表現。これが大きく採り上げられることはないかもしれませんが、ピノックやマンゼといった古楽のヘンデル演奏は、こうしたアカデミーの在り方に近いのです。アカデミーは小型のモダンのため、箱庭的なところ。細密のヘンデルを聴くことができます。その雅な響きは、ヘンデルの音楽のうちの人を楽しませる要素にも対応していました。

クリックよろしくお願いします 星       
        ↓
     ペタしてね


Iona Brown "Concerto grosso Op 6 No 7" Händel

Iona Brown "Concerto grosso Op 6 No 11" Händel