アルバン・ベルク

85年録音。アルバン・ベルク四重奏団。後年の収録はしばしライヴで敢行されました。技術という高い指標。ライヴという一回性。そこではチューニングの狂いなどのトラブルも起こります。それでも、再現されるものを捉えようと試みられたのがベートーヴェンの四重奏曲の2回目のものでした。ウィーンコンツェルト・ハウスでのデビューから、精緻なアンサンブルで知られ、それはウィーンの伝統と、団体名にも掲げられているベルクのように、新しいレパートリーをも取り込んで行く、先鋭的なものとの融合でした。当盤は、そうしたライヴという手段を録音に取り入れる最初となったもの。クァルテットという形に、ピアノをもいれたシューマンの五重奏と、モーツァルトの「不協和音」の2曲を収録したカーネギー・ホールでのライヴ録音です。そのピアノでの共演者も重要で、彼らは自身の弦を活かすこと、ブラームスや、ドヴォルザークをいれたレオンスカヤがいるように、当盤での共演はアントルモン。主導はクァルテットにありますが、協調を示すピアニストを選び、アンサンブルの精緻という高いところで仕上げていきます。たとえばシューマンの五重奏でいえば、ピアニストを目指したシューマンの書法。アルゲリッチなどのように、数度と取り組む例があるのは協奏的な瞬間があるからです。ルービンシュタインとガルネリ四重奏団。古くはシュナーベル、ゼルキン、デムスといったあたりはピアニストと四重奏団という色彩が濃いものでした。形としてはピアノと弦楽四重奏というものですが、ピアノの比重が高くなる傾向があり、弦はなおざりにされがちです。アルバン・ベルク四重奏団が、このカーネギー・ライヴで採り上げたのは、そうした曲の新たな面に光をあてるもので、モーツァルトともども意識的に採られた曲目となっているのでした。モーツァルトがハイドン・セットで試みたもの。それは、モーツァルトにしては労作で、何度も推敲されました。ハイドン同様に6曲のセット。すでに、ハイドンの様式と、モーツァルトの形はあっても、そこから大きくはみ出るものがあります。その音楽の違いは顕著ですが、それらは弦を一本加えた弦楽五重奏に明らかでした。四重奏での試み、冒頭の22小節に由来するのが「不協和音」のニックネームをもつセット最後の1曲。アルバン・ベルク四重奏団がウィーンの伝統と、先鋭の融合に根ざしているとすれば、すでに、冒頭の不協和音以上のもの、その里程にはバルトークや、新ヴィーン楽派のベルクもあれば、ルトスワフスキ、ベリオといったものまである。モーツァルトの前衛など、問題としないほどの硬質な作品が並びます。そういった意味では、モーツァルトは遥か先の音楽を先取りしていたわけですが、同時に、これはハイドンの「天地創造」の冒頭のカオスの表現にあたるもの。ハ長調というもっとも単純な調性をとって、平明に結んでいくという形をとっています。それこそ、形のないところから音楽をはじめ、そこに形を与えていったハイドンへのオマージュなのでした。全体の試みには、そうした弦楽四重奏のたどった歴史を俯瞰するかのようになっていますが、アルバン・ベルク四重奏団ともなると、すでに冒頭の感性から違います。情緒ではなく、これも捉えどころのあるモーツァルト時代には考えられなかった先取りの音楽として緻密に紡いでいます。それが、ライヴの中、高い精度で実現されています。録音も優秀ですが、その曇りのないところにも耐えるアンサンブル。

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Schumann - Piano Quintet in E flat, Op. 44 IV Finale: Allegro ma non troppo (Live)

Mozart, Streichquartett KV 465, Alban Berg Quartett (スタジオ)