セビリャの理髪師

カラス・チーム。カラスのロジーナが聴けるロッシーニ「セビリアの理髪師」。絶頂期57年の録音です。ガリエラ指揮のフィルハーモニア管弦楽団。伯爵はアルヴァ。71年のアバド指揮の録音で、本格的にリバイバルがはじまりました。アバド盤のロジーナは初期のロッシーニ、メゾを支えたベルガンサ。独自の歌唱を支えるアジリタの技術。モーツァルトの「フィガロの結婚」の前史にあたり、アルマヴィーヴァ伯爵が、のちの夫人となるロジーナと出会い、街の何でも屋フィガロの助けを借りて、結ばれるまで。ロジーナは、そうした底抜けに明るいブッファの1パーツであり、アバド盤がゼッタをはじめとした校訂でメゾを採用します。ロジーナに限らず、このオペラにはソプラノは出てこない。リバイバル以前、ロッシーニでほとんど唯一、上演されていた「セビリアの理髪師」。ロジーナの配役も緩やかに取り入れられていたのです。ロッシーニの時代の劇場との結びつき。とくに「セビリアの理髪師」はわずか2週間というひじょうに速筆で書かれたことで知られています。上演までには、作曲だけではありません。舞台に、歌手、台本、さまざまなものが必要で、一からつくりあげるというものではなく、ある程度、量産、上演を可能とするルーティンなものがありました。声の固定。当時は新作が続々と登場する時期であり、オペラの他に歌手の顔見せ的な興行といったこともありました。今日での多くの劇場が導入するレパートリー制。シーズンにあたり、上演の曲目を決定し、興行的に見込めるものとし、歌手の調整、演出を含めチームとして機能します。カラスはベルカント復興に大きく貢献しました。ロッシーニ、ドニゼッティ、ベッリーニ。それらは、後半の二人に関してはルチア、ノルマといった定番があるのに対し、ロッシーニでは本格的復興を70年代に待たなければいかなかったことは示唆的ですが、当盤は、50年代半ばにして最初期のステレオ録音。今日のSACD復刻でも音質はきわめて良好です。
 チームとしたのは、アバド盤でも共通するアルヴァに、フィガロにはゴッピといった重鎮。今日的にも、ロッシーニ歌手はスペシャリストたちですが、カラス当時のものは、ロッシーニ限らず、劇場でデビュー、鍛えられ、たとえスタジオ盤であっても、濃厚に劇場の雰囲気を伝えるところにあります。従前のオペラ理解からのロッシーニですが、昨今の録音のために人が集められ、上演が行われ、その付録のように音盤が出るといったものではありません。歌手は卓越した巧者。50年代は、歌手の時代であり、作品の量産体制であったロッシーニの時代当時でさえ、その前提となる卓越した表現者の存在がありました。カラスの役柄への没入。ロジーナにはそうした複雑な心象風景はありませんし、役にしてはカラスの約づくりは、軽さを表現していたとしても重い。何より、ロッシーニは、音楽的な水準の高さを演技よりも重点を置いていました。それでも、伝統的に、オペラが大音量のオーケストラに伍して声が支配する快感。それは、ベルカント以降も、台本の比重が増し、ヴェルディに求められる演技、プッチーニのヒロイン型の迫真。たくさん育って来た劇場の伝統があります。すぐそれとわかるカラスの個性。そして、カラスに限らず劇場で育まれた歌手の呼吸。指揮も、そうした職人的資質で、なによりリバイバル前に、律動があります。このオペラだけは、埋もれずに生き残ってきた経緯。エレーデとシミオナート、バルトレッティとダンジェロ、グイとロス・アンヘレス、ヴァルヴィーゾとベルガンサ。アバド前のロジーナたち。とくにグイ盤(ここにもアルヴァの伯爵)や、当盤の雰囲気は今、聴いても顔がほころんでくるオペラの悦楽があります。

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Rossini, The Barber Of Seville , Alceo Galliera , SIDE 1, Overture,,,

Maria Callas: "Dunque io son!" Barbiere di Siviglia, Rossini, con Tito Gobbi, Londra 1957, Galliera

Luigi Alva & Tito Gobbi - All' idea di quel metallo - Il barbiere di Siviglia