ポッペア

90年録音。ヤーコプス、コンチェルト・ヴォカーレ。モンテヴェルディ3つの残存する歌劇、最後の作品「ポッペアの戴冠」の録音です。オペラはギリシア劇の復興を目指し、最初期のペーリの「エウリディーチェ」が現存する最後の作品ですが、オペラがオペラとなったのは1607年、モンテヴェルディの「オルフェオ」にはじまります。朗唱風の台詞、劇的進行も今日のものとは随分と違いますが、400年以上の時を経て、劇的登場人物はレパートリーとして現在も共感を得ることができます。モーツァルトの「イドメネオ」の時点で、セリアはすでに形骸化し、作曲者は神話的登場人物に生きた感情を乗せることに苦慮しましたが、モンテヴェルディの「オルフェオ」から35年、1642年初演された「ポッペアの戴冠」はも神話的登場人物ではなく、起こっている出来事は現代に置き換えても理解することができます。プロローグはほかの3つと同じ。寓意的な神話の登場人物が出て来ますが、「愛」が礼賛され、以下は、その証明となるという物語です。不倫礼賛、愛情をテーマにした世俗的な内容。残念ながら、現存するパートは、2種の手稿譜とも歌と通奏しかありません。器楽パートもしっかりと書かれた「オルフェオ」以上に条件は悪いという状況になっていますが、題材はすでに19世紀の愛を扱った歌劇と同じ。今日的な内容となっています。歌の力は、当盤よりも遥かに上回ったガーディナー盤は、当盤よりストイックで、補うパートは少ない。結局、ない音は補うしかなく、当時のスタイルで復古するか、現代につながるものとして提示するかしかないのです。幸いなことに、この曲の手がかりは少なくても、当時としては異例なほどに器楽パートを書き込んだモンテヴェルディ。ほかの作品から、様式的なものを摂取し、補うことができます。
 ヤーコプス盤は、(映像なしの)音から理解する立場にあり、補完も充分。このように、盤によって演奏のスタイルは異なりますが、旋律線は同じ。そのために生み出されたモノディ形式は成熟し、何度も立ち返ることで理解されてくる世界があります。近年は映像も複数登場し、シナリオ片手に聴かなくても字幕付きで進行を理解することもできるでしょう。このとき、ルネサンスからはじまり、バロックへの移行。そうした音楽(劇)への要求があり、最後の作品となったという音楽史的な位置づけがあります。世界観も歌手の声域の配置。性格も今日とは違います。キリスト教的にはネロは暴君であり、しかも配下のオットーネの妻ポッペアを邪魔者を排除して(そこには諌める哲人セネカの自殺まであります)皇后に据えるまでの物語。しかし、ネロは批難される描き方ではなく、ポッペアとの情事は冒頭からはじまっている上にネロには皇后オッターヴィアがすでにいます。テーマは「愛」。そして、その無理を通すためのひずみは登場人物の心象。そこから排除される人間は苦悩し、そこにはその複雑な心象表現がのぞきます。そして、それは神話的人物ではなく、人間的な題材。のちのモーツァルトがそこに与えたであろう心理の深層、性格にまで踏み込んだ音楽づけの遥かな先駆です。それが日本ではまだ江戸が開府し、寛永の飢饉のころ。農政の対応というところで重要な転換が図られたころ。西欧では、「能」的な題材から「歌舞伎」的なものも出て来た。その手がかりは、旋律とわずかな伴奏。そして、旋律にすでに心象の重要な手がかりがあります。ネロは、もちろん男性ですが、こうした超人的な声に対し、去勢歌手が歌った所。当盤では女声(メゾ)のロラシスが歌い、配役の男女が声と異なる点も多々ある点。バロック的なクセはありますが、アーノンクールらからはじまったモンテヴェルディの試み。ポッペアの再現から、400年前の天才が果たした役割がはっきりと認知されるようになりました。

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L'Incoronazione di Poppea Schwetzingen 1993