$ラストテスタメント クラシック-デフォルメ演奏の探求-シャイー

マーラーの交響曲は9曲と「大地の歌」の10曲です。あと少しの生を長らえることなく逝ってしまったので9番の校訂と、第10番を完成させることができませんでした。それでも多くの部分、オーケストレーションが完成されていた第1楽章のみを全集の補遺という形で多くの指揮者が採り上げてきました。マーラー生誕の100周年の折りに、マーラー自身のスケッチから、クックにより演奏会用ヴァージョン(BBCでゴルトシュミット指揮フィルハーモニアO 1960)を作成。残りの4楽章を含め、マーラー自身の手になっていればと思われる方法で補いながら復元。もちろん、マーラー自身の手によるものではないため、随所にこれが未完のまた別の作品であることを感じさせるもの。マーラー自身はこの作品の焼却を望んでいたという証言や、マーラーの徒であるワルターらが懸念を表明していることなどの情報が伝わっており、これは未完のトルソーであればそれでいいと考える向きもありました。そもそもクック版が真剣に聴かれるようになったのは近年のことです。マーラーに直接、つながる人たちが1楽章の演奏に留めていたのが大きいかもしれません。
 近年、この作品がクック版をはじめ、マゼッティ、サマーレ/マツーカ、バルシャイなどの以降の版、またクック版以前のクシェネクをはじめ多くの版があります。また補完版のディスクも増えてきました。それらディスクの解説には、このクック版が真摯なもので、演奏会用として仮にも演奏することができるよう整えられているものの、詳細な注、解釈を載せ、草稿のない部分は略式総譜による解読譜も付され、全体を通しては恣意性を極力排除したものとしています。インバル版の解説で森泰彦氏は「フーガの技法」、モーツァルト「レクイエム」、ブルックナー「交響曲第9番」、ベルク「ルル」といった未完の作品を挙げながら「クックの総譜を読み、その演奏を体験することによって、マーラーが最後の最後まで革新的な現役の作曲家でありつづけたことを強く実感することができるし、未完成の自筆譜の彼方を垣間みて、この世に生きていく励ましをうけることもできる」。マーラーは死を極端に恐れた作曲家でした。ベートーヴェンが9番をもって最後の交響曲とし、ブルックナーが9番で終わったジンクス。そのために、9番にあたる「大地の歌」には番号を与えなかった。9番のアダージョの終楽章に書かれた「息絶えて」。少しくどさを感じさせるスコアの注記。これをもって、マーラーの遺言と考えるのではなく、さらに、マーラーにはのちの世界を見ていたことを知らしめること。それが第10交響曲の役割です。クックの校訂も1960年の第1稿、アルマの承認を得ての1964年第2稿、72年第3稿(76年出版)の最終稿。さらにクックの死後も補完は続きます。死で完結ではなく、死後の世界があるのです。
 この作品が単に珍しい曲にしか過ぎなかったころから、まさに珍しい曲のスペシャリストとして地方オケを著名にしていったのがラトルです。おそらく現役ではもっとも頻繁にこの曲を採り上げています。最初のものが1980年。今回、採り上げるのはシャイー盤の86年。87年からアムステルダム・コンセルトヘボウOの常任になっているので、ここではベルリン放送Oです。ここで、特徴となっているのは当時、まだ珍しかったクックによる補完をつかっていること、シェーンベルクの「浄夜」(弦楽合奏版)を併録していること、そして、全集のスタートをこの10番からはじめていることです。解説で船山隆氏はアルマ・マーラーの回想に触れ、メンゲルベルク宅での作曲の経過を伝え、アルマの不貞が9、10、「大地の歌」に苦悩をもたらし(第10のスコアには、そうした書き込みが幾つかある、コーダの「君のために生き! 君のために死ぬ! アルムシ!など)、クックは「暗黒の交響的三作」と呼んでいた時代。しかし、マーラーの目は次世代にも開かれシェーンベルクの音楽を聴いたマーラーの「私には彼の音楽は判らない。しかし、彼は若い。彼のほうが正しいかもしれない。私はおいぼれで、彼の音楽にはついていけないだろう」。シャイーといえば、ロッシーニの諸作での躍動感。その中には若き日のあの大作「ウィリアム・テル」まで含まれます。演奏には異質なブルックナーまであり、またマーラーにつながるツェムリンスキーにも名盤があがります。多くモダン、印象的なところではメシアン、ベリオ、ヴァレーズなどもとりあげ、併録されたシェーンベルクにも意欲的。解説でも触れられていますが、作曲家兼、音楽学者を父に持ち、常に知的なアプローチがあること。さらにフランクの交響曲にも感じられた大きな呼吸と、大技にも動じない大きな括りのあること。こうした背景があるからこそ、併録が生きてきます。現在、廉価な全集が出ていますが、こうした併録も含めて、その考えを反映させるべきでしょう。緩徐楽章でサンドイッチされた5つの楽章の交響曲。緩徐楽章は一つの啓示で比重も高まっていますが、未完のフィナーレは不気味なティンパニから一閃。極めて美しい。シャイーのアプローチはあくまでもロマンを感じさせ、完成した作品としての「演奏」に踏み入ったものだと思います。

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シャイー、第10の前段 第9交響曲から

バーンスタイン 1楽章から この楽章のみですが深い

インバル盤 92年 クック補完 第3稿 フィナーレから(シャイー盤と同様) 

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