
シューベルトの伝記を読むと詩人マイアホーファー(1787-1836)の名前が出てきます。シューベルトを中心とした密やかなサロン、シューベルティアーデ。シューベルトは開放的で、その音楽、人柄に引き寄せられるように、さまざまな人が集まりました。今回はプレガルディエンと、シュタイアーの共演によるシューベルトの歌曲集を。ここではマイアホーファーの詩による歌曲を収録しています。シューベルトにとっての詩人はゲーテ、シラーであり、ミューラーでした。マイアホーファー歌曲集という連作があるわけではありません。しかし、マイアホーファーは先にあげた詩人と違うのは、個人的な交流があったということ。直接影響を与えることになりました。出会ったのは1814から1815年にかけての冬。その後、1815から22年にかけて50曲の歌曲中44曲が生み出されることになりました。サンスーシ夫人の下宿での生活、ディスクの解説によるとこの下宿はのちに、やはり詩人のテオドール・ケルナーの住処となりました。マイアホーファーはバリトン歌手フォーグルをサロンに紹介。シューベルトの歌曲を歌うことになります。シューベルト自身の声はテノールだったとか。のちに、シューベルトは素寒貧になるとマイアホーファー宅に転がり込むことになります。シューベルトはボヘミアン、自由で快活に対し、マイアホーファーは気難しく、口数の少ない対照的な性格でした。作品はゲーテに続く量。重要な詩人でした。
解説によると、50の詩の中で目を引く特徴としてギリシア神話をモチーフにしたものが多いこと。これが全体の1/4にあたり、「水」の比喩が盛んに用いられること。これが、約半分に登場するのだそうです。当盤は23曲を収録していますが、「冥府への旅」「ドナウ川の上で」といった作品。人生を川の流れにたとえるマイアホーファーの詩。シューベルトの若すぎる死のあと、もともと精神に問題のあったマイアホーファーは自殺。何年もシューベルトとの関係を絶っていましたが、大きなショックを受けたのであろうと解説のデュルハンマーは結びます。今もって、自殺の真相は明らかではありません。「水」のイメージは「冥府への旅」での「死をはらむ平和をつぶやいているのは、忘却よ、おまえの昔ながらの川だ」など、訳を見ていてもひじょうに目につきます。「古事記」での日本の「冥府」にあたる「黄泉」、「根の堅州国」のイメージ。黄泉の国下りのあとは、川で禊ぎとなり、この際生まれたのが八十禍津日(やそまがつひ)の神。そこでは死の穢れと、川が結びついています。今日でも、「水に流す」と言う言葉があり、さらには「古事記」の時代のトイレは排出物を川に流すものでした。神話的な想像力の中では国が違えどイメージの共通点があるのですが、ギリシア神話を引きながら、直接的な神話的登場人物の感情からは距離を置き描きだされています。晩年、シューベルトはさらにロマン的な方向に向かうようになり、内心に分裂のある保守的なマイアホーファーとは袂を分つこととなりました。詩に関しては、決して優秀な選択をしたとはいえないシューベルト。のちのシューマンの文学癖とは違いますが感性は豊かだったことを示します。マイアホーファーの保守と相容れない齟齬があったのか、与えたメロディは皮肉に曲げられ、解説によれば「古い世界観への、遅ればせの決別と言えよう。マイアホーファー自身の言葉を用いることは、シューベルトの強い皮肉と拒絶を表現していたのである」。
以前、フォルテピアノのシューベルト歌曲といえばヘフリガーの盤がありました。プレガルディエン。このテノールはレオンハルト、コープマン、アーノンクールのバッハで福音史家をつとめ、信頼の厚い人。シュタイアーのフォルテ・ピアノはすでに新時代の豊かな表現でこの古さから、ロマンに向かうシューベルトが描いたマイアホーファーの姿を音価していきます。すでに当盤(2001年)以前に「冬の旅」(96年)があり、デリケート。この繊細さが、「シラー」「ゲーテ」などをテーマにしたディスクでも結実。このバランスはすでにフォルテピアノを用いたリートが新しい時代に入っていることを告げています。「正しさ」ではなく「表現」があるのです。
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当盤の映像がありませんでした。以下、参考
「美しき水車小屋の娘」から「小川の子守唄」 ミュラー詩
「冬の旅」から「春の夢」 ギター版 ミュラー詩
小人 Kirill Gerstein, piano マテウス・フォン・コリン詩
マイアホーファー詩による「ドナウ川の上で」
フィッシャー=ディースカウ、リヒテル