
バッハの「フーガの技法」が西欧音楽の「奥の院」であることは古くからいわれていました。全曲を一貫する一つの主題。これに様々な技法を駆使してフーガが織りなす世界。吉田秀和氏はゲーテの言葉を引いて「これは、率直にいうと愛想が悪くて近づきがたいが、芸術としては最高の作品である。それは近づくことによってのみ喜びを感じうる。また感じなければならない美的命令である」。ここでは「フーガの技法」だけでなく、「音楽の捧げもの」も同時に挙げて、両者に楽器指定がないこと、一つの主題の様々な追求という共通点、順序、解釈、さまざまな問題をはらんでいることを指摘しながら、それでも「この両作品は、ヨーロパといわず、音楽といわず、人類の文化の最高の記念碑的な財宝に属する」としています。ここでは「元来が鍵盤音楽のためではないが」、また「モーツァルトの『レクイエム』とならんで、音楽史上第一級の天才の遺言である」といった今日、ひとまず決着がついた間違いも述べられています。以前、採り上げたのがニコラーエワ女史、亡くなる前年のスタジオ録音(92年)、グールドがオルガン、ピアノ両方を駆使して演奏したものの二つ。グールドは音量の変化を付けられないオルガンを全てのピアニストが弾くべきだとしながら、独自の音を引き出していたユニークなものでした。前者はピアノで弾くバッハの一つの解答であり、後者はオルガン、ピアノの違いを浮き彫りにするもの。参考にしたのが69年のレオンハルト、アスペレンのチェンバロで演奏したバッハであり、論考文でした。
指定楽器がないこと、オープンスコアの形で各声部が書かれていること。それはたとえば管弦楽、弦楽四重奏で演奏されたり、オルガンで演奏される場合などがありました。ピアノで演奏する場合もまま演奏することは困難で独自の版を用意する必要があります。そして、一応、チェンバロのための曲であることで一応の決着がついているのはレオンハルトの論考にはじまります。この録音はその成果に基づき主張を実現したもの。1台で弾くことが困難な箇所(コントラプンクトゥス第12a,b、18a,b)の4曲に関しては第2チェンバロを加えての演奏。レオンハルトの挙げているのは原資料として「自筆譜」(浄書譜)、「初稿譜」の二つからはじめています。一つの主題の18のフーガ。18番目の三重フーガでが途中で中断され、エマーヌエル・バッハの「このフーガの途中、対主題にバッハの名前(音名)がもちこらまれたことで作曲者は死去した」という筆記。レオンハルトの論考は「作品は本当に未完成なのか」、「初稿譜の楽曲配列はバッハの意図だったのか」という二つの疑問にはじまります。詳しい論考は本文に書かれているので省略しますが、バッハが最初から出版を前提として計画しており、原資料が二つとも浄書譜であることなどを証拠として挙げ、「完結された作品である」。そして、「3つのテーマによるフーガ」およびコラールは、「バッハが後に作曲したもので《フーガの技法》とな何の関係もない」、「初稿譜は、曲の配列においてもバッハの意図をかなり忠実に再現したもの」という結論にもっていっています。この考えから「未完フーガ」は当盤には収録されていません(初稿譜の後半の意図の徹底に関しては問題がある)。以下、音域、鍵盤作品でしか起こりえない点を指摘しながら鍵盤作品であるという論考が進められていきます。どの鍵盤か、という問題に関しては「チェンバロ、オルガン、クラヴィコード」という可能性があるわけですが、バッハがオルガン作品とチェンバロに関してはほとんどを明確に分けていることを指摘した上、「チェンバロであろう」という結論に結びつけていきます。
未完フーガの音名で終わることや、数の象徴などはバッハ研究につきまといます。そして、あながち、不当ではないという発見があることもあり、全てを受け入れることはできなくとも示唆があります。「フーガの技法」の初稿譜には花の模様が織り込まれているのですが、これが「詩篇」の18篇に対応するというもの。これは磯山氏がプラウチュの研究からあげているのですが、第4フーガで描かれているのが葡萄の木で、18篇中、葡萄がここでしか登場しないことを指摘。すると第18フーガは「バッハの死からの救済」ということにも。ほか第2フーガの付点リズムを「神の怒り」としていることが面白い。「詩篇」こそ「小聖書」で「新約」ではキリストによって預言の成就が為されたという考えがあります。一つの主題の追求、バッハにとって神は無関係ではなく、ある種、教育意図があったにしても、その徹底は容易に演奏すべきものではありません。レオンハルト盤、同質の音が続くのは辛いですが、先の「奥の院」ということからはじめて、一つひとつに向き合うもの。硬質ということでは今もって最右翼ですが、一度は聴いておきたい。
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当盤の映像がありませんでした。以下、参考
レオンハルト 「音楽の捧げもの」から「6声のリチュルカーレ」
サヴァール 1、2
ヴァルヒャ 1、2、3
グールド 7、8

第4フーガ 終始直後に書かれた葡萄の木