ラストテスタメント クラシック-デフォルメ演奏の探求
  • 17Oct
    • ブルックナー/交響曲第5番 アーノンクール指揮ウィーンフィル

      2004年の録音。第3、4,7,8,9番と進めてきたチクルスの中期、1875~78年という年次は50代にあった作曲家の傑作交響曲です。残念ながらアーノンクールもすでになくチクルスは未完となりました。第5交響曲は完成作としては第8交響曲に次ぐ高峰で、古来この交響曲に踏み入ることはブルックナーへの取り組みを示すものとなっていました。第4、7番といった人気作、次いで第3、8、9番という充実作を除くと、あとは全集を制作する過程の一つともみられかねないものです。それでも、演奏史を個別の名演が彩ってきました。ヨッフムのコンセルトヘボウ首席指揮者時代のライヴ。ベイヌムのものがあり、ケンペ指揮のミュンヘンフィル、マタチッチ、ヴァントのものなども印象深い。  作品は、作曲者が「対位法的」などともよんでおり、「カトリック的」などとも俗称されることもある作品。フーガやコラールといった前時代的であった対位法という線とコラールで醸される複合された響きがあります。演奏は古楽のオリジネーターとして知られたアーノンクールの作品理解とともに、従前になかった個性的なブルックナー演奏を提示することになりました。前掲の演奏が従来の枠組み、ブラスは咆哮し、力強く力感を奏でクライマックスを築くのに対し、当盤では静的で細かなニュアンスも多くに聞かれます。ブルックナー的な響きを期待する向きには弱点ともいえるものですが、ウィーンフィルの美質を引き出しながら、新しいブルックナー像を打ち立てました。   リハーサル風景も付属していて、絶対権力ではなくオーケストラを鼓舞するアーノンクールの姿を確認できます。コラールでは個々の楽器の音量を調整し、ブラスにかき消されがちな弦のトレモロを浮かび上がらせ的確です。ウィーン交響楽団(交響曲第9番など、こちらもブルックナー縁のオーケストラ)のチェリスト時代は1959~69年。それは48~60年、戦後低迷していた楽団を再浮上させたカラヤン在任時代とも重なります。評伝には、そのベートーヴェンには異論を持ちつつも、ブルックナー演奏では第4交響曲の解釈を特に支持していました。ベームの「サロメ」公演にはじまり、クレメンス・クラウスといった名士、アバドやメータのデビュー直後といった出会い。一楽士としての体験はオーケストラを牽引する指揮者としてのアーノンクールを育んだもので、それはウィーン的な土壌に根差していました。古楽との出会いも、地域の音楽的なサークルに接しアンサンブルを組織するところからはじまったものです。ブルックナーは古楽ではありません。ブラームスの交響曲をベルリン・フィルと制作した際に、ウィーンのブラームスよりも年長であったブルックナーの作品が強く意識されました。響きをブラッシュアップする。それは20世紀へと連なる新しい響きを志向。共演を積み重ねてきた古楽とのブレンドにも対応できるコンセルトヘボウではなく、伝統の集積を任ずるロマン派の音楽は意外に堅調なものです。   作曲者の改定はほとんどなく、版の差異も目立たないのですが、ブルックナー使途であるクナパーツブッシュがウィーンフィルを振った50年代のステレオ盤が作品の根幹ともいえる終楽章を大幅にカットしたシャルクによる改訂版を使用していました。原典版の当盤との響きの違い。聞き比べや、改訂稿との差異を見たり優れたリファレンスとなりうる演奏です。アーノンクール盤は厳めしさとは遠く静的。巨峰ゆえに苦手意識を持っている人にこそ好まれるものかもしれません。参考:第4番人気ブログランキング

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  • 26Dec
  • 25Dec
    • シューマン/交響曲第3番「ライン」

      シューマン/交響曲第3番「ライン」アーノンクールのシューマン。歌劇や合唱の大作。モダンとピリオド楽器の振り分けなど、広範な取り組みが特徴です。クリックよろしくお願いします                ↓     Schumann - Symphony n°3 "Rhenish" - Nikolaus Harnoncourt (live recording)

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    • シューマン/交響曲第4番 78年 クーベリック

      クーベリックのシューマン。60年代にベルリン・フィルとの間でも録音していますが、70年代、アナログ末期にバイエルン放送交響楽団に再録音された交響曲全集からのもの、第4交響曲です。さまざまな編集があり、当盤では第3交響曲「ライン」と「マンフレッド序曲」を併録しています。どちらもオーソドックスな定番ともいえるものですが、グラモフォンでのマーラー、ベートーヴェン、ドヴォルザークといった定番に対し、ソニー・クラシカルでのモーツァルト後期交響曲集、ブルックナーといったものと並んで、古典的均衡のあるシューマン像はクーベリックならではのものです。管弦楽の混合色。常に、多くの音がなっていて、そのバランスに留意しながらの効果をあげることの至難。そのために、マーラー版などのおもな作業は編成の刈り込みにありました。指揮者の見識に任される部分も多かったシューマン。同時に、その欠点こそシューマンであり、シューベルトから交響曲の新しい道を見出したロマン派の典型は、色彩的な効果ではなく、まさに混交した和音の固まり、響きを望んだのです。近年、アーノンクールやシャイーの試み、ピリオド楽器のシューマンなども登場し、独自のロマン的な内容と響きの再発見が行われるようになりました。クーベリックのものはモダンで築き上げて来た伝統に添ったものですが、アナログ末期ということ、録音の優秀もあり、音像を積極的に肯定するものとしてシューマン的なトーンを表出しています。第1番から第3番までは、いずれも79年録音。78年録音の第4交響曲は、このチクルスはじめのものとなりました。作曲の順番としては2番目のものであった第4交響曲。集中して一つの分野に特化する傾向のあったシューマンですが、第1交響曲と同じ年に「交響的幻想曲」として構想された曲。つまり、その作曲年の1841年は「交響曲の年」ともいえるものでした。ロマン派で交響曲が一端行き詰まるのは、形式と盛り込む内容である情動との均衡が取れないことにありました。それはピアノソナタ、協奏曲なども同様なのですが、シューマンもしばし、幻想曲として作品を構想したのでした。ピアノ協奏曲もしかり。 「交響的幻想曲」は初演時の評判が芳しくなく、作品の価値を確信していたシューマンは10年後、おもに金管パートを修整した上で、第4交響曲としたのでした。 古くフルトヴェングラーが揺らぎをもって演奏した定番。録音ということに不審感をもっていた巨匠が、成果物として満足したものの一つとして挙げていたのが、このシューマンでした。内容は、幻想曲出自らしく4曲中、もっともロマン的な内容となっています。初期にはピアノ曲ばかり書いていたシューマン。結婚後の「歌の年」ですが、ここでは文学青年シューマンらしく歌詞を選定し、効果をあげるピアノ書法と歌を融合しました。そこには、ピアノ書法の延長を見る事ができますが、管弦楽も同じように楽器の扱いはともかく、その書法の応用があります。クーベリックのものは、今一度、ロマンの揺らぎではなく古典的均衡に作品を寄せるものですが、決して管を剥き出しにしない弦の書法。そこに立ち上るロマンは覆いようもありません。クリックよろしくお願いします                ↓     Schumann Symphonie N°4 & Piano Concerto Wilhelm Kempff, Rafael Kubelik

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  • 24Dec
    • モーツァルト/コジ・ファン・トゥッテ

      モーツァルト/コジ・ファン・トゥッテ交換可能でも成り立つ恋人。それは音楽にするとアンサンブルのオペラになります。秀でた歌手というより、進行している過程が楽しいところ。クリックよろしくお願いします                ↓     Cosi Fan tutte 1996 - Trio "Soave il vento"

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    • モーツァルト/オペラ・アリア集 89年 シュライアー

      89年録音。フィリップスに残されたシュライアーのモーツァルト、オペラアリア集。60年代、スウィトナーの指揮で同種のものがありましたが、こちらは歌い手であるシュライアー自身が指揮をしています。バッハの世俗カンタータ集をはじめ、指揮も手堅く、何しろテノールとしてモーツァルトの諸役では圧倒的に登場回数の多いシュライアー。たとえば「魔笛」ではタミーノ。その王子ぶりではアライサと並ぶ品位です。ザルツブルク音楽祭で活躍していた頃のレヴァインの映像ではウィーンフィルの映像に、のちのメトの映像ではアライサと新旧二人のタミーノを見ることができます。ウィーンの欧州、伝統のものと新興国アメリカの物量的なメトの舞台。そこには、演出の移り変わりだけでなく、オペラそのものの伝統の蓄積もあります。ザクセンで生まれたシュライアー。その名前には「金切り声をあげる人」という意味もあるそうですが、その声域は常に慎みと、むしろ大きすぎる舞台は似合わないところにあります。フィッシャー=ディースカウはメトの舞台を大きすぎるとしていました。ともに、リヒター指揮のバッハ、カンタータ集の録音に参加し、大部の合唱曲にもその名を連ねています。歌劇のもつ、華やかな部分と大仰なつくり込み。バイロイトでは、ベームの「トリスタンとイゾルデ」で水夫を歌いました。長大で交響的な響きの歌劇は、静寂のうちに水夫の一声ではじまります。ドイツ人としてのアイデンティティは、ワーグナーをも捉えますが、常に過負荷のかかる大役ではなく、声の安定、規範の要求されるモーツァルトが歌曲をも歌うシュライアーのある位置でした。その歌劇からの引退はもう16年も前のことですが、タミーノを最後の役としました。当盤には、そういった蓄積、「コジ・ファン・トゥッテ」のフェルランド「恋のいぶきは」、「後宮からの逃走」のベルモンテ「コンスタンツェ、また会えるとは~愛にみたされたわが心」、「喜びの涙が流れるとき」「ぼくはお前の強さを頼みにし」、「皇帝ティートの慈悲」では皇帝「もしも皇帝の位が、親愛なる神よ」、「魔笛」のタミーノ「なんと美しい絵姿」、「ドン・ジョヴァンニ」ではおっターヴォ「ぼくの安らぎは」「恋人を慰めて」、「イドメネオ」ではイダマンテ「もしも死がやってくるなら~恐れないで、いとしいひと」、イドメネオとして「海のほかに、私の胸の中にも海が」の11曲を収録しています。  いずれもシュライアーの歌い込んできたアリア。かつては「皇帝ティートの慈悲」も「イドメネオ」もモーツァルトの歌劇ではやや特殊なものでしたが、「コジ・ファン・トゥッテ」が浮上してきたのも20世紀のことであり、イタリアでの「アルバのアスカーニオ」「ルーチョ・シッラ」、ザルツブルク時代の「バスティアンとバスティエンヌ」といったものがすでに全曲盤が出て、「イドメネオ」も特殊な作品とはいえなくなりました。アリア集として聞いても、モーツァルトの諸作は遥かに歌芝居の要素を残し、ここでの成功をもっとものぞんだモーツァルト。声に要求される音楽的な欲求の高さ。それは、旋律というだけでなく、アンサンブルとの調和もあるのです。かつてのスウィトナー盤と同様、管弦楽はドレスデン。その古色もまたシュライアーが歌ってきた全曲版と同様のものでした。クリックよろしくお願いします                ↓     以下は当盤ではありませんPeter Schreier, Mozart "Come mai creder deggio / Dalla sua pace la mia depende" (Don Ottavio)Peter Schreier sings "Un'aura amorosa" from Così fan tutte

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  • 23Dec
    • ブラームス/ハイドンの主題による変奏曲

      ブラームス/ハイドンの主題による変奏曲最後にパッサカリアをもつ第4交響曲の先取りのような管弦楽変奏曲。冒頭の主題からハイドン時代の編成で、2台のピアノ版など、交響曲成立と管弦楽法について鍵となる作品です。クリックよろしくお願いします                ↓     Brahms / Herbert von Karajan, 1957: Variations On A Theme By Haydn, Op. 56a - Complete

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    • ブラームス/交響曲第1番 77、78年 カラヤン

      77~78年録音。カラヤンのブラームス。2度目の全集となったものから第1交響曲を収めたものです。録音の媒体に新しいものが登場すると、録音を繰り返していくカラヤン。かつてストコフスキーも同様に、録音されたものが持つ価値を確信した上で、モニターを確認しながら、それを演奏行為に反映させていました。それは媒体の積極的活用ともいうもので、たとえばオペラなども実演をかける前にスタジオ盤を制作。歌手を集めた贅美もさることながら、スケジュールの過密。実演で起こる様々なものを考慮に入れた上で鋳型ともいえるものを掴む。録音は公演のためにも利用されたわけです。賢い方法でもあり、また実演はスタジオ盤以上の成果をも産むわけですが、そういったものの発表についても意識的であったのもまたカラヤンでした。録音が繰り返されて来たものの中には、もっとも回数の多いチャイコフスキーの「悲愴」をはじめ、交響曲の全集ではベートーヴェン。そして、ロマンでいえばブラームスが該当します。デジタル期。すでに晩年のカラヤンが比重の重い第1交響曲演奏(87年)を展開していましたが、何度も同曲を演奏していたベルリン・フィル。指揮者の意向を汲みながらカラヤンのブラームスを再現することができました。カラヤンは最晩年まで端正でしたが、病と格闘し、ベルリン・フィルとはマイヤー事件や自身の権威をめぐる確執。そういった人間的な面を見せない自己演出に本懐がありましたが、やはりカラヤンにも晩年様式がありました。第1交響曲でいえば、88年のライヴがあり、カラヤンも縁のサントリーホール。実演でのアンサンブルの迫力。カラヤン的なものを表出していました。スタジオに鋳型というものをあてはめていく方法。そして、続くのちの録音のうち、カラヤン的な意思がもっとも透徹したものがこの70年代のブラームスのうちにあります。  ベルリン・フィルのうちにあるブラームス伝統。ベルリン・フィルの初代のシェフはビューローにはじまり、ニキシュやフルトヴェングラーの紡いで来たもの。カラヤンは、フルトヴェングラー的な揺らぎではなく、トスカニーニ的な即物表現から出発しました。その最初のブラームスは、むしろ音色を活かしたものでした。70年代録音は、そういった個々を浮き立たせるものではなく、全体のうちにあてはめていくカラヤンの意思があります。続くアバドがベートーヴェンでいえば偶数番号に真価を表すタイプでブラームスでいえば第2交響曲に「らしさ」があらわれるのに対し、カラヤンでは第1、3交響曲といったところに真価を発揮します。すでに、古典派のうちに交響曲は完結し、ロマン派以降はシューマン、メンデルスゾーンをはじめ、形を追って器に盛り込めないものを残してしまったという見方があります。実際、情動を重んじるロマンで主題労作は馴染まないものでした。ブラームスの交響曲はそういった形式との折り合いとの格闘です。線的なもの、ほとんどベートーヴェン時代と変わらぬ編成に量感を出して行く難しさ。作品にもある歓喜主題。ドイツ人ブラームスのアイデンティティ。ここからアバド、そしてラトルといったものから、管弦楽がたどった道筋をたどるのも一興です。クリックよろしくお願いします                ↓     ブラームス: 交響曲 第1番 ハ短調 作品68 カラヤン / ベルリン・フィル 1977, 78

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  • 22Dec
    • ハチャトゥリアン/仮面舞踏会~ワルツ

      ハチャトゥリアン/仮面舞踏会~ワルツフィギュアスケート競技で用いられ脚光を浴びている1曲。ここにも濃厚なものがあるのはハチャトゥリアンの音楽だから。 バレエから舞踏にかわるのです。クリックよろしくお願いします                ↓     Aram Khachaturian - Masquerade: Waltz

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    • ハチャトゥリアン/管弦楽曲集 ラザレフ

      93年録音。ラザレフのハチャトゥリアン管弦楽曲集。音楽監督を務めたボリショイ響とのもので、同管弦楽団とは83年から95年、音楽監督の地位にありました。モスクワ音楽院大ホールでの収録。ハチャトゥリアンの曲のもつローカル色。それはレーベルがおとなしめのエラートであろうと、デジタル録音期であろうとも失われることはありません。かつては景気のいい管弦楽曲集としてガイーヌから「剣の舞い」が収録されていました。こうしたものはよくてアンコール、大曲の余白に収められることはあっても大部としては採り上げにくい作品です。実際、クルツやドラティ、ハチャトゥリアン自身が演奏していたものは「ガイーヌ」からの抜粋といったものでした。フィードラーとボストン・ポップス、カンゼルとシンシナティ・ポップスといったポップスオーケストラが演奏するにも相応しい。ハチャトゥリアンには交響曲も、ピアノとヴァイオリンのための協奏曲といった伝統的な作品があります。プロコフィエフとショスタコーヴィチを並べて三巨匠と称されていた時代は遠く、ひとりハチャトゥリアンの人気凋落は著しいのですが、近年、そのバレエや映画音楽素材、たとえば「仮面舞踏会」がフィギュア・スケート競技に使用され、浮上の機会があります。劇性や鮮烈なリズム。その多くは民族的素材を現代的な音楽に昇華させ、破格の大きさをほこるハチャトゥリアン。ASVのチェクナヴォリアンの大部の集成や、当盤のラザレフのように、ペレストロイカ以降、低迷しつつある旧ソ連の管弦楽の底力を感じさせるのは、音楽のもつ生命力です。ラザレフ盤は「ガイーヌ」「仮面舞踏会」「スパルタクス」いずれも、組曲を収録していますが、踊りのための音楽を俯瞰できる内容になっています。ハチャトゥリアンはグルジアに生まれ、そのローカル色を育む下地となっています。ASVがアルメニア・フィルを駆使しているのに対し、ラザレフのボリショイは、ロシア側に残るかつての三巨匠の一人としてのハチャトゥリアン像。  地方管弦楽が、自国の音楽としての熱演に対し、ボリショイの築き上げて来た伝統は、ムソルグスキーやロシア五人組。あるいはチャイコフスキーのバレエといったものの延長です。ロジェストヴェンスキーやムラヴィンスキーに学んだラザレフの出自を考えてもよいでしょう。録音の精度もあり、横溢するリズムも少し抑えめなのですが、それでもはみでてくるのがハチャトゥリアンの音楽。ラザレフ盤では、そういった迫力あるリズムと音響の対比でもある抒情的な部分の美しさを引き立たせていました。旋律素材や、それを育んだ民族的な豊かさ。たとえば5人組、ボロディンの管弦楽に「中央アジアの平原にて」で扱われるのがコーカサスでのロシア人と東洋人の遭遇です。ハチャトゥリアンのアルメニアもまた異化された響き、エキゾチシズムとして捉えるだけでなく、ロシア側からも楽曲のうちに素材として取り入れていった歴史がありました。チャイコフスキーの初期交響曲の民謡素材の活用もそういった例証の一つです。クリックよろしくお願いします                ↓     Aram Khachaturian, Ayshe's Awakening and Dance, Martiros Saryan

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  • 21Dec
    • エルガー/エニグマ変奏曲

      エルガー/エニグマ変奏曲大規模な管弦楽変奏曲。ブラームスのハイドン変奏曲や、レーガー、ヒンデミット作品などに連なるものですが、エルガー作品の中では比較的上演回数が多い。特定の人を表す各変奏。それは私的なプログラムでもあり、イギリス的ユーモアでもあります。クリックよろしくお願いします                ↓     E. Elgar Enigma Variations Op.36, Giuseppe Sinopoli

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    • エルガー/交響曲第1番

      90年録音。イギリスの交響曲のはじまり。エルガーの第1交響曲。シノーポリ指揮のフィルハーモニア管弦楽団の録音です。併録は威風堂々の第1,4番でこちらは91年の録音。イギリス音楽は、その穏当な性格と田園風景。よくいわれるところのご当地録音を待つまでもなく、イギリスの演奏家が多くを採り上げてきました。ボールト、バルビローリ、新しくはA.デイヴィスの録音といったものです。とくに、そのノーブルな旋律と、オーソドックスで重厚な和音。作曲年は1907年~08年と20世紀を越え、50代を迎えて発表された作品。エルガーにとって完成作としては2曲に留まる交響曲ですが、ヴォーン=ウィリアムズなどと同様に偉大なシンフォニストとして語られるのも、パーセル以来、自国産の作曲家を生み出してこなかったイギリスが、ほとんど終熄しつつあった交響曲という分野に礎を築いたはじめての作品だからです。演奏も、イギリス以外、バレンボイム、ショルティ、ハイティンク、スラトキン、プレヴィン、マッケラスといったところもほとんどのオーケストラがイギリスのものとなっています。それは国際化の波でイギリスのオーケストラの常任指揮者に就任するなどの過程からエルガーを採り上げるといったもので、シノーポリのものもそういった系譜にあたります。優秀な録音スタジオ、ホールを有し、録音機材も先端。イギリスの作品に限らず多くの録音をこなすレーベルの中核です。シャンドス、ハイペリオンといった自主レーベルの目立つのもイギリス。グラモフォンの採り上げ方としても、世界交響曲としての一環。第2交響曲、マイスキーとのチェロ協奏曲、エニグマ変奏曲と続き、当盤は第4弾でした。作品の初演はクナッパーツブッシュの師、ハンス・リヒターが荷なった。それは世界交響曲としての認知の期待でもあったわけですが、リヒターは「英国だけではなく、現代最高の交響曲」と賞賛しました。そこから作品はリヒターに献呈。にも関わらず、作品はまだイギリスを越えて浸透に至るまだ過程にあるかもしれません。  コリン・ウィルソンの辛辣な評「イギリスというのは、自国の天才をできるだけ無視し、いざ死んでしまうと、すぐさまかれらを汚辱しにかかる、という慣習をもった奇妙な国である」にはじまり「弱いビール」的なところを指摘しています。ディスク選といったものを各国のものを並べるとイギリスの個性と、自国の作曲家を持ち上げ、音楽史に組み込もうという意図は明らかです。イギリス音楽の20世紀作品にあっての保守性。それは、民族性の発露というロマン的な運動の遅すぎる展開でもありますが、時代は表現主義を経て、古いスタイルそのままというわけではありません。シノーポリ盤での53分(作曲者自演は46分という記録がある)という長大さは、ブルックナー、マーラー以降の肥大化するロマンを受けています。「エルガーは、リヒァルト・シュトラウスと、いやブルックナーとさえ比較されている。しかし、音楽的に彼と最も近い関係にあるのは、やはり、疑いなく彼の音楽に最大の影響を及ぼした男、つまり、ブラームスである」。この見解は支持され、いまでは定説といえるものですが、そこに広がる緩徐楽章の人間的表現と、自然な情感は規模こそ違えどドイツ的な音楽を骨骼とし、イギリス的なものを盛り込んだ。シノーポリの表現も、そういった世界交響曲の一角として、R.シュトラウス、マーラーなどと同様の広い採り上げ方をしていました。クリックよろしくお願いします                ↓     **♪Elgar : Symphony No. 1 in A-Flat Major, Op. 55 / Giuseppe Sinopoli & Philharmonia Orchestra

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  • 20Dec
    • アレグロ・バルバロ

      エマーソン、レイク&パーマー/未開人クラシックの編曲ものを嫌ったレイクですが、1stアルバムの1曲目はバルトークからはじまります。パブリック・ドメインの前だったわけですが、編曲であることを明記せず。その反省から恐怖の頭脳改革の頃にはヒナステラなども明記するようになりました(エマーソンは自作が編曲されることには寛容だった)。コープランドなども、認めていたクラシックもの。クリックよろしくお願いします                ↓     The Barbarian ELP Emerson, Lake & Palmer

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    • バルトーク/ヴァイオリン、クラリネットとピアノのためのコントラスツ

      93年録音。シフが音楽監督をつとめるモントゼー音楽週間アンサンブル。バルトークとヤナーチェクを採り上げたもののうち、バルトークをまとめた室内楽曲集です。バルトークの室内楽ではすべてヨーロッパ時代に書かれた重要作、6曲の弦楽四重奏曲がありますが、それ以外の室内楽は主にピアノが寄り添い、当盤ではヴァイオリン・ソナタ第2番、ヴァイオリン、クラリネットとピアノのためのコントラスツの2曲に、ピアノが関わります。もう1曲は、メニューインの録音でも知られた無伴奏ヴァイオリン・ソナタ。当盤に収められた室内楽にはすべてヴァイオリンが関与していることになります。音楽週間のために招聘されたため、メンバーは混成。第2ヴァイオリン・ソナタはフェニヴェスのヴァイオリン。残り2曲はシェネーベルガー。神童期がありエルガーの指揮のもと10代でヴァイオリンを弾いていたメニューインは、神童期を終えると低迷していた時期がありました。戦後、ナチスに協力したとして演奏から遠ざかっていたフルトヴェングラーの復権のために尽力。それは、ユダヤ人という立場からは勇気ある行動だったのですが、そのために排斥を受けることにもなりました。そのフルトヴェングラーとの共演で生まれたものがベートーヴェンの協奏曲のライヴとスタジオ。そこにもブラームス、メンデルスゾーンに混じり、バルトークの協奏曲が録音。再起の契機となったのでした。のちにドラティとの間で再録音。そのとき、当時としては補完なしに成立しえなかった楽曲として珍しかったヴィオラ協奏曲を録音。アメリカに渡っての不幸。戦後、アンセルメが歎いた「第2次大戦は、われわれの最も優秀な人々を運び去った」は、「管弦楽のための協奏曲」、「ピアノ協奏曲第3番」をはじめ平明な作風をとりつつあったバルトークの死について述べたものでした。  バルトークは鋭敏な上に潔癖。困窮の生活に手を差し伸べたのが、ライナーや、シゲティといったハンガリーの同国人。そして、メニューイン、クーセヴィツキー。それにバルトークの提示しえるもの、音楽で応えたのでした。無伴奏ヴァイオリン・ソナタは死の前年にメニューインの依頼で生まれたものです。この1作がアメリカ時代の産ですが、残り2曲はヨーロッパ時代。第1ヴァイオリン・ソナタと第2ソナタは近接し、ブダペストのタラーニのために。コントラスツはシゲティのヴァイオリン、クラリネットはベニー・グッドマンを想定した作品。無伴奏ヴァイオリンの原型はバッハの作品にあり、渡米後も連なっていた純粋培養されたバルトークのヨーロッパ的なもの。シフの編んだ当盤は、ザルツブルクでの録音です。バルトークの潔癖、高潔は強力な個性を持つ母親に影響を受けたというものがあります。ピアノ教師であった母親からの徹底した教育。それは親と子でもあるわけですが、依存の関係でもあり、強力な個性に外界とは隔絶された精神の世界、悪くいえば自己中心的な性格を築いたというもの。鋭敏すぎる感性についての逸話も多いのです。当盤でまとまった室内楽を聞けること。リズムを苛烈な方向にもっていかないシフの方法はシフの個性も受けて、盤全体の個性となっています。クリックよろしくお願いします                ↓     以下は参考ですBártok: Sonata for violin Tempo di ciaccona Yehudi MenuhinBela Bartok - Contrasts for Violin, Clarinet and Piano (1938) [Score-Video]

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  • 19Dec
    • モーツァルト/フルート四重奏曲 イ長調 K.298

      モーツァルト/フルート四重奏曲 イ長調 K.298第1楽章は変奏曲。主題はホフマイスターのもので、主題を与えられて展開する曲芸の一つ。ユーモアや遊びの要素。フルートだけが主役ではない。大芸術の前に娯楽性を備えている音楽です。クリックよろしくお願いします                ↓     W. A. Mozart - Flute quartet KV 298 - Kuijken quartet

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    • モーツァルト/ピアノ四重奏曲第1番 ト短調 K.478 遠山慶子、ウィーン弦楽四重奏団団員

      82年録音。遠山慶子のピアノ、ウィーン弦楽四重奏団のメンバーによるモーツァルトのピアノ四重奏曲の2曲です。ピアノを交えた室内楽ですが、カメラータに残されたヒンクのヴァイオリンをはじめとするウィーン弦楽四重奏団の、モーツァルト、シューベルト、次いでハイドン、ドヴォルザーク、ブラームス、ベートーヴェンといった作曲家の弦楽四重奏曲はいずれもウィーンの香りを漂わせるもので、小さなウィーン・フィル。ウィーン弦楽四重奏団もまたウェラー、バリリ、ウィーン・コンツェルトハウス四重奏団といった四重奏団の系譜に連なるものです。コンサートマスターという性質上、そのトーンはオーケストラを導く。指揮者とオーケストラ全体をつなぎ、意思の疎通を図る。またソリストとしての技量も要求されるリーダーという立場。さまざまなものに応えていくのですが、アンサンブルでの存在とソリストの立場では要求されるものが異なります。ヘッツェルが早世したために、その後を受けてのキュッヒルとヒンクもまた対称的でした。ともに、室内楽に取り組んだために、小さなウィーンを比較して聴くことも可能です。キュッヒルのウィーン・ムジークフェライン四重奏団とヒンクのウィーン弦楽四重奏団。モーツァルトのピアノ四重奏曲では、ムジークフェラインSQはプレヴィンとの共演としていて、こちらが81年。第1番はト短調と、モーツアルトの調性であり、短調作品という特異な状況。何しろ、ホフマイスター社からの依頼は3曲であり、まず応えたのが第1番だったわけですが、短調(ただし第2、第3楽章は長調で、全体を貫くロマン的な劇性があるわけではない)であり、ピアノに要求されるものが当時としては高度なものであったこと。何しろ、カメラータの伝統は、実用目的でアンサンブルを楽しむことにあったわけですから、出版社としては困惑しました。そのことをモーツァルトに伝えると、契約を解消され、残りの変ホ長調は、出版社としては新興のアルタリア社から出版されることになりました。新興にとってはタレントである作曲者の確保と、作品を選別する目利きを発揮する機会でもありました。  古くから、指揮者=ピアニストの演奏が存在し、セルはブダペストとバーンスタインはジュリアード、レヴァインや、ショルティも録音しています。ピアノに求められるものが高度であることはもちろんですが、そこには、ピアノだけではありません。プレヴィンはバランスを採り、協奏曲でいえば弾き振りのように引き立ちもするのです。遠山、ウィーン弦楽四重奏団盤は、ベーゼンドルファー。音色は重心が低く、やや硬質なものですが、折り目の正しさと品位。そして、ヒンクといえばアンサンブル、それも室内楽的なところでいちばん「らしさ」を発揮します。編成は、もちろん協奏曲より小さいため、ピアノだけが浮かび上がるものではなく、アンサンブルとなっていることに好感がもてます。くつろいだ雰囲気と同時に、楷書のモーツァルト。デジタル期の録音ゆえに細部も明瞭ですが、懐かしいものに触れたかのような感触があります。クリックよろしくお願いします                ↓     下記は当盤ではありません。演奏詳細不明。Mozart - Piano Quartet No. 1 in G minor, K. 478 [complete]

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  • 18Dec
    • ラ・マグダレーナ

      ピエール・アテニャン/ラ・マグダレーナルネサンス、フランス。マグダラのマリア信仰から生まれた舞曲。さまざまな形で演奏されています(ロックバンド、グリフォンの曲の元ネタ)。クリックよろしくお願いします                ↓     Basse dance "La Magdalena"-Pierre Attaingnant 1530

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    • ツェムリンスキー/人魚姫

      86年録音。シャイー指揮のベルリン放送交響楽団による史上初となったツェムリンスキーの交響詩「人魚姫」の録音です。当盤は詩篇第13番作品24が併録されていますが、頽廃音楽のシリーズ、再編されたものは詩篇第23番作品14が加わり、こちらも熱を帯びた後期ロマン。ほとんど忘れられた作品ゆえにこちらを求めることもよいでしょう。「叙情交響曲」はもちろん、歌劇「フィレンツェ人の悲劇」も録音。シャイーの新しい音楽への志向を見せるもので、ベルリン放送交響楽団、かつて東西に分断された放送交響楽団は、アシュケナージのスクリャービン交響曲集などとともに、こうした音楽への独特の質感をもっています。放送管弦楽団。ヨーロッパの名門オーケストラは、それぞれ独自の出自と古い歴史を持ち、築き上げて来た蓄積が特色を築いていきます。ベルリン放送交響楽団はドイツではもっとも古い放送管弦楽団なのですが、放送を目的とした設立であり、すべからく20世紀以降のものということになり、こちらも1925年の設立。分裂後は東独で、商業的なものばかりを捉える必要がなかったこと。そこから広範な曲目と、モダンの摂取という気風で、高い技術を誇り、整った録音環境により再現されたものは緻密なもの。そこからツェムリンスキーを浮上させた意義は大きいものです。「人魚姫」も浮上してくることとなり、従来からの「叙情交響曲」も持ち上げられ、シェーンベルクの師という音楽史的な立場を、書籍のうちにあったものを音化させ資料だけでなく視聴に耐える生きた音楽としました。当時のメタロマン的なもの、頽廃芸術のシリーズに収められるように、ユダヤ系のため、その音楽はある時期、ドイツから排斥されることになりました。マーラーとシェーンベルクを繋ぐロマンが爛熟し、表現主義、新古典といった一連の流れのシェーンベルク直前のウィーンを知ることになるのです。ロマンの何たるかを知らなければ、その音楽は濃厚に過ぎ、情動の行き着く所。ほとんど拡大が最大になったものです。マーラーにも現代的な視点を持ち込むシャイー。  シェーンベルクは49年に「作曲とその問題について私が知っているほとんどすべてのことは、アレクサンダー・ツェムリンスキーのお陰である」にはじまり「おそらく予想されるよりも早く彼の時代はやってくる」。その弦楽四重奏曲をラサール四重奏団が演奏し、歌曲集も採り上げられ、代表作が採り上げられるようになったのはシェーンベルクの予想よりもずいぶんと遅れたことになりましたが、これらはただの歴史の経過のうちの音楽ではありません。多くの作品が浮上してくるうちには、名品であるだけでなく、幸運も必要です。ツェムリンスキーは当時の卓越した指揮者であり、シェーンベルク作品も多く採り上げました。調性が浮薄になっていく中、ツェムリンスキーの持ち込んだ領域。ヨーロッパ時代のコルンゴルトも学び、マーラー夫人、アルマも学んだもの。新しさとロマンと不思議な触感のものとなっていました。クリックよろしくお願いします                ↓     ♪ツェムリンスキー: 交響詩「人魚姫」 / リッカルド・シャイー指揮ベルリン放送交響楽団 1986年3月

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  • 17Dec
    • バッハ/トッカータとフーガ ニ短調

      バッハ/トッカータとフーガ ニ短調ストコフスキーのトランスクリプション。パッサカリアやシャコンヌもありますが、一番、原曲のうちにオーケストラの響きをイメージできるのがこの1曲ではないでしょうか。クリックよろしくお願いします                ↓     Bach/Stokowski "Toccata & fugue D minor" Leopold Stokowski

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    • 沈める寺 ストコフスキー アンコール集

      デッカの編集盤。ストコフスキーの管弦楽アンコール集です。当盤には、バッハのトランスクリプションは入っていませんが、それでもストコフスキーの華麗な編曲の多くが並びます。65年~73年の録音。通常は、「オーケストラ名曲集」「序曲集」といった類いのもので並べられるものは多いのでしょうが、ここに、自身の編曲の多くが並ぶことが大きな特徴です。ストコフスキーは通俗の名のもとに、少しうさん臭い印象をもたれていた時代がありました。映画への出演や、録音というメディアを積極的に利用した。たとえば、フィラデルフィア管弦楽団の礎をつくったのはストコフスキーと、後任のオーマンディです。録音をモニタールームで聞きながら、よりよく響く音を模索していったという方法論は、フルトヴェングラーがこうした技術を「音の缶詰」といって、絶対に録音技師の都合に合わせることに妥協しなかったという態度とは正反対のものです。近年では、幻の指揮者として埋もれかけていたチェリビダッケ。実演奏のみにしか真実しかないとした場合、記録を残さなければ、今日、聴くことのできる録音の大半は失われていることになります。電気録音がはじまれば、20年代に録音に飛びつく。レコード、録音のみにも表現し得る美が存在することの信奉者。音楽を芸術としての孤高のものとするよりも、大衆に伝播する力を信じたエンターティナーでした。カラヤンが同じように、LP、デジタル録音、CD、映像などと規格に対応してベートーヴェンの交響曲や、チャイコフスキーの「悲愴」などを録音していったものにも通じます。ストコフスキーの場合は、たとえチャイコフスキーのスコアであっても、録音で響きが混濁すると判断すれば、改編を行いました。それは改悪といったものとは限りません。トランスクリプションがあるようにオーケストラ編を常々行ない経験を積んでいる。自身、現場での対応としての判断でした。  フィラデルフィア管での演説のうちに「だれもが同じように奏するというように、標準化されてしまうことが流行しているが、あなたがたはそうなってはならない。あなたがたが個性的に考え、感じるようになるためにです。あなたがたの個性をこわさず、音楽を通してその個性を表現しなさい」。その演奏と、作品の感じ方の個性がストコフスキーのトランスクリプションでした。凡俗の、クラシック編が街中に流れる。そのほとんどが奇妙なもので、こうして一枚をまとめあげて聞かせるものとしてしまうことは少ないものです。ラフマニノフの前奏曲第1番、ショパンのマズルカ、シューベルトの楽興の時。ピアノのために書かれた音楽が並びます。ドビュッシーの前奏曲から「沈める寺」。コリン・マシューズの編曲、プロジェクトが有名ですが、ドビュッシーも、直截的にはショパン。そのショパンはバッハの「平均律」から発展させました。やはりピアノのために書かれた音楽で、第1集の頂点を成すのが「沈める寺」。ドビュッシーの音楽のうちにはピアノという単一の音であっても色彩があるのですが、ストコフスキーはバッハのオルガンのための作品の淡色をも色彩豊かに描きます。こうした編曲のうちに、今日の機能的な管弦楽の平準がありました。「グレの歌」やアイヴズの交響曲、シベリウス、マーラーの演奏の先鞭といったこともストコフスキーの功績です。難曲や、大曲。その中心にはあの雄弁な手の動きがありました。クリックよろしくお願いします                ↓     Leopold Stokowski "La Cathédrale engloutie" DebussyLeopold Stokowski "La Cathédrale engloutie" DebussyRachmaninov/Stokowski - Prélude Op. 3, No. 2

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【プロフィール】 オーボエ、ギター、鍵盤 作曲とエンジニアリング 音楽を愛する雑誌編集者

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