私は「やんちゃ娘」だったから

小学校4年の時に6年生の男の子とケンカになった。


本当に殴り合いのケンカ。


でも、ケンカは負けた。


ドロドロになった姿と顔と体がアザだらの私を見て父が




「どーしたん?」



「ケンカして・・・」

(ここで涙がこぼれる(ノω・、)



「何で泣く?(`Δ´)」



「・・・?????」

何でここで叱られる・・?・・?(゚Ω゚;)



「何処か痛いのか?それとも、そんな姿になって辛いのか・・?

それとも悔しいのか?」



「悔しい・・・」



「じゃーなんで帰って来た?」



「・・?・?・?」



「悔しいと思うのは、もしかしたら勝てたかも知れないと言う気持ちがお前にあったからじゃ!」



「・・・・・・・。」



「にも関わらず帰って来たという事は、お前は負けたのではなく逃げたんじゃ!」



「・・・・・・・。」



「どっちに悔しい?」



「どっちって?」



「負けた相手か?それとも自分か?」




「多分・・・自分・・・」




「そーーじゃ!じゃからお前は逃げたんじゃ!」


「も1回、行け!」




「え?」



「勝つまでではなく、自分が納得出来るまで行けって言よんじゃ!」



そして父に車で乗せられ連れて行かれる。




再び、ボロボロのままケンカ。




諦めなかったので、相手が根負け。




何とか勝つ(●0△+汗;)



帰りに父が言う。




「別にケンカの勝ち負けを言ってる訳じゃない。ただ、こんな事でも、逃げると、自分の自信がなくなっていくんじゃ!」




「他人に負けるかどーかなんて、どっちでもいい。自分だけの力だけの問題でもねーし・・。この世の中、お前よりもケンカが強いとか勉強が出来る奴は、なんぼでおる。」





「ただ・・自分に負ける事は、わしは許さん!」




「自分に負ける事は、お前自身の問題じゃけーーのー」



(o・。・o)なるほど・・・



「自分に勝つかどうかは自分で決めれるって事?」



「そー言う事じゃ!( `ー´)ノ」


「諦めたら自分には勝てん言うことじゃ!」



「(o・。・o)あっ!そっか。」



確かにこの時は意味が理解出来たんですけど・・。



なかなか、状況が変わると、判断も変わってしまい。



この部分はよく父に叱られました。



「自分に負ける事は認めるな!」


「どうやったら自分に勝つかだえを考えろ!」



こうして女の子とか男の子とか関係なく厳しく教育されました。



辛かった事もあったかも知れない。



でも、その辛さも結果が出た時に忘れている。


辛かった事よりも、達成した喜びが大きい。


だから忘れているw



この事は今でも、心掛けています。



いつも・・


「自分に負けていないか?」


を自分に問いかけます。



そうすると自然と勇気と元気が沸き、その苦しみから抜けれるアイデアが


「フッ」と思い浮かんだりします。



「自分に負けない」



これは大切な幸せへの道だと思っています

                   ヽ(*’-^*)。




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「理由を言え!目的を持て!」



これが父に言われた続けた事です。



叱られる時も、理由を聞かずに叱られた事は一度もありません。



しかし、頼み事をしても理由を述べなければ、聞いてはくれませんでした。




小学校の時「ファミコン」が欲しくて頼みました。




いつもの如く



「理由を言え!」



と。



「ゲームがしたいから」



「何のゲームだ?何のため?」




「・・・・・・・・・・・・・」






思わず答えに詰まり・・






「みんな持ってるから・・・」



と答えると・・




父は大・大・激怒!!メラメラプンプン




(`o´)コ!(`o´)ト!(`0´)ワ!(`^´)ル!




って・・・。





「みんなが持ってるから欲しがるのは信念のない奴の言うこと」



「その信念を無くしたら、お前は人に流される人間になる。物事の・良し悪しも解らず、人がしているから自分もしたと言いながら悪い事もしてしまう」



「そんな人間にする為に育てていない!」



「・・・・ぇ━(*´・д・)━!!! 」

「たかが・・・ゲームで・・・」



「たかが!!ゲームだとぉーーーーヽ(∴`┗Д┛´)ノ彡」



更に父は激怒!




「その考えがお前をもっと甘くしていくんじゃ!」


「そしてお前はその位、その位って言いながら、平気で人を傷つける様になる」



「そもそもーーー!!

人が持ってるから欲しいと言うのは、いかに人の目を気にしてるかじゃ!」



「人がどうかではなくて自分がどうかで理由を考えろ!」


「自分にとってどうかで目的を持て!」



もう返す言葉もありません。



結局、その時は買ってもらえませんでした。



でも、ファミコン大会があって、それで


「優勝したい」って言う理由が見つかった時には、すぐに買ってもらえました。



「何でもいい。そうやって努力すると言う事はいいことだ(・∀・)」


って。



小学生の私には深い意味は理解出来ませんでした。



でも、この習慣が間違いなく、今人生に役に立っています。



この物の考え方の習慣があるから。



迷いながらでも、自分の夢をつかみ取って来ました。




「目的」というと難しいのですが・・



「理由」とも言う・・・



これが父の教えです。



そして、この父の教えを今はきちんと守り、信念に従って、行動しています。


学校では教えてくれない大切なことを私は父に教えて貰っていました。



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私が産まれ、母方の中では初の女の子の孫でした。


それはそれは、近所の方にも、祖父母にも叔父、叔母、従兄弟みんない可愛がられました。


父が仕事が続かない人だったので、母は私を産んですぐに働き始めました。


そして私は祖母に子守をしてもらっていました。


祖母は足が悪かったので、私を、おんぶしている時に、転びました。



そこに、たまたま「朝顔」の蔓をはわせる竹があったので、私はその竹で、顔を怪我しました。


その傷は、一生消えない傷になりました。


吸引分娩で、頭にも大きな傷があり、そこからは髪が生えて来なかった事と顔の傷で、女の子なのにーと母はとても気にしていました。


その二つの傷は成長するにあたり、私自身のコンプレックスとなるのですが・・。


父は、とても変わっている人で社会の常識とかがまりない人でいsた。


今は父は亡くなっていますが、私は父が大好きでした。


今でも尊敬していると言えます。


「自分の生き方を持っている人」でした。



いつも「信念」を持っていたのです。



私がそんなコンプレックスから立ち直れたのも、この社会から離脱した性格の父がいたからだと思います。



父は、顔に傷が出来ようが、髪の毛が生えて来なくても・・


「自分の娘は世界で一番!」って思ってくれていました。



私に「外見より中身を磨け」と最初の教えてくれた人でした。



この、「父の教育」が今の私を作り、こうして自分で事業をし、明るく幸せに暮らせているのだと思います。



もし、私が、この家庭環境でなかえらば、今の陽気な性格はなかったのかも知れません。


父はこう言いました。


「欠点は自分で探すものじゃない」


「その顔の傷や、頭のハゲが、どうなんだ?」


「生きて行く事にも支障がなければ生活していく事ですらも支障がない」


「なのに、お前は何に苦しんでいる?」


「何に不自由しているんだ?」


・・と。



思春期の頃は、こんな言葉を言われても



「うるせーーー」と反抗もしましたが。



今は本当にその通りだと思います。



「何もかもゴチャゴチャにして物を考えるな!」


も父の口癖でした。



「それはそれ!」


「これはこれ!」



「ミソもクソも一緒にするな!」



って。



若干、下品ですけど(笑)




小さな父の言動の積み重ねが私を人として大きく成長させてくれました。



そう。父が子供の可能性は無限大と信じ続けてくれたから・・




それだけだと思います。



信じてくれている人が居たから、どんな苦しみも辛さも乗り越えられたのだと思います。




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