母のお腹の中に居心地の良かった私は予定日を1週間過ぎました。


そして、大きくなりました。


母のお腹の中で。


私がまだお腹の中に居たいと思った事が、思わぬ事態を招きました。


母は私が大きすぎて、いきむ事が出来なくなり、死の階段を上り始めたそうです。


これは母から聞いた話ですが・・



その階段はものすごく興味深いものだったそうです。


一歩、一歩着々と上って行ったその時に、祖母の声がしたそうです。


母の名前を必死に叫ぶ声が・・



そして母は最初は無視しようと思ったそうですが、あまりにも祖母が必死なので、振り返ったそうです。


そして、そこには、病院のベッドで、母の枕元で涙を流して、必死になっていた祖母の姿があったそうです。


母は良く言います。


「命かけて産んだ割には、散々な目に合わされたww」・・・と。



そう言われても何も言い返せない自分がいますけど(●0△+汗;)


そして、母はなんとか命を繋ぎましたが、


吸引分娩で、無理矢理引っ張って出した私は変わり果てた姿で息もしてなかったそうです。


そこへ、父は首もすわっていない私を逆さに吊り背中を平手で

「パンパン!」と叩いたそうです。



むちゃーーするww



でも父は何も考えていなかったのだと思います。


常識よりもわが娘を助けたい・・それだけで父は無意識に行動していたのだと思います。



病院の先生も、子供は諦めて下さい・・と言ったそうです。



でも父だけは諦めなかった。



そして、何分も経って・・



私が泣き始めたそうです。




奇跡



と病院の先生が言ったそうです。



私は生まれてくる時から「奇跡」を知る事が出来たのかも知れません。



でもその奇跡は私の父が起こした奇跡です。



どうしてもわが子を助けたい、その気持ちが起こした奇跡。



私は8時8分 3650グラムで この世に誕生?



いや



生き返ったのです(0^ー^0)



西田文郎先生(http://www.nishida-fumio.com/ )の本に書いてありました。



「人生、本当に大変な事は3度しかない」



「そのうち、一度目が産まれてくるときで、3度目が死ぬ時」


あとは、一つしか大変な事はないと。



私は、こうして、最初の難関を乗り越え、生まれて来ました。



これから、色んなことを経験して修行とも言える思いをするために・・



でも、そこに私が生れて来れたのは、父が居て、母が居て・・



そして祖父母がいた。


そして私は、自分で食べるものですらも、自力で出来ないところから、両親や祖父母に育てて貰いました。


自分は勝手に大きくなったと勘違いをしている時期もありました。



両親が「面倒」と思う時期もありました。



その感謝を知らなかった頃の自分は思いだすだけでも恥ずかしいですけど。。。(*≧m≦*)プププw



そして奇跡は起こすものだと私は父を見て、思い知らされています。



諦めない・・



この大切さが。



あの時に父が諦めていたら私は今、こうしてブログも更新する事もないのですから・・。



絶対に、ゆずれないものは諦めてはいけない・・




これが最初に父から教わった事です。




ブログランキング参加中

 応援 (ツ _ _)ツ))+:.*.

  
   「幸せになりたい」をサポート♪「心技体」塾-bana






私の記憶は母のお腹の中にいる時からあります。


最近、それが不思議だって事に気づいたのですが、それまでは当然と想っていました。


私の母はお嬢様みたく、祖父母に大事に育てられたそうです。

私の父は対照的で、小学校も行かせてもらえないスパルタ教育?

の中で育ったそうです。


そんな二人が結婚するのは、母の両親が大反対!


そして父は母の両親を説得する所か、文句を言う始末。


そんな時に母は私を妊娠しました。


母は悩んだそうです。


そして、さすがに中絶は選択しなかったのですが、流産すればいいのにと思い自転車で、神社の階段を下りたりしていました。


私にはこの光景が今でも鮮明に見える。


今でも私は階段が怖くて、真っ直ぐ見て降りる事は出来ません。


トラウマなんですかね?(o^^o)ふふっ♪


でも私の母はそんな中でも生れて来た私を可愛がってくれたし今は幸せですので、ここで母を非情と思わないで下さい。


でも私はどうしても生れて来たかったのですねw


どんな事をしても流産ところか母のお腹の中でスクスクと育って行きました。


母はお腹が大きくなるに連れて私を大事にしてくれているのも解りました。


反対していた祖母も私が生れてくるのを楽しみにしてくれました。



その期待も私には伝わりました。


多分、あなたも記憶がないだけで、お腹の中でその気持ちを感じ

そしてあなたの子供も、その想いを受け取っていると思います。



だから親子の絆ってすごいのだと思います。


そして私は最初は確かに居心地が悪かったのですが、いつからかよくなったので、母のお腹の中にいようとしました。

出産予定日が来ても、この世に生れようとしませんでした。


これから始まる、色んな事が怖かったのか?


不安だったのか?


居心地が悪かったのが急に良くなったからなのか?


解りませんが・・



ただ。。



まだまだ母のお腹にいたかったのです。




この私のわがまま?が母の体に、そして私の体に大変なことを起こしてしまいます。



出産から私の「ジェットコースター人生」が始まるのです。


続きは明日・・



ブログランキング参加中

 応援して下さい┌○"ペコッ


   「幸せになりたい」をサポート♪「心技体」塾-bana





「人生ややりなおせるなら何歳に戻りたいですか?」と質問された事がありました。




戻れないんですけど。。



想像してみました。



このままの記憶があって戻れるなら・・



「中学校1年生に戻りたいです」



それは何故中学校1年生なのか?



私は中学1年の時に


「エースをねらえ!」の影響もあって、ソフトテニス部に入った。



幸いにも、そのソフトテニス部のコーチが良くて、全国大会に行けれるレベルの中学校だった。


毎日の辛い練習は耐えれた。



しかし私に、我慢出来ない事があって。



小学校の時から「弱いものイジメ」をする先輩がその部に居た。


私はどうしてもその先輩に頭が下げられなかった。



「(^-^*)/コンチャ! 」とも言えなかった。



そして、毎日部活が終わると呼びつけられ・・


「挨拶しろ!」とか「生意気!」とか言われる。



最初は我慢してたんだけど。



ある日、我慢出来なくなって、先輩とケンカになって、退部を選んでしまった。


別に辞めさせられた訳でもない。



「やってらっれかぁーーー」みたいな居直り精神だった気がする。


でも・・



自分の事解ってなかったのか・・?



いや、何処かで解っていた気もする。



いつもホントはテニスがやりたかった。



だから、いつも、コートは見ていた。



それでも辞めてしまったから。


それも自分の判断で・・



私はひねくれる事で、自分の心を誤魔化そうとして、どんどん悪くなっていった。



ヤンキーと呼ばれる集団の中に居た。



でも現実的にはなにをやっても満たされなかった。



どんな悪い事をしても刺激はなかった。



いつも心に穴が開いた感覚。


そりゃーそうだよね。


私が本当にやりたいのは、



ケンカでもなく、授業サボることでもなく、先生に反抗することでもなく、親に反抗することでもないのだから。


テニスだったのだから。


でも自分の、気持ちの弱さが、逆に人を傷つけてしまった。



自分が傷つきたくないから、人を傷つけていたのかも知れない。



今になるとそう思う。



だから、やりなおせるならという質問は即答で中学1年。



でも、それは無理なんだけど。



ここで大事な事に気づいた。



この質問をされたときに大事なことに気づいた。



そうやって、たまには冷静に自分の人生振り返る事によって、見えてくるものもあるって事。



あのミスを繰り返さない様に、今も自分の「やりたい事」を誤魔化していないか?


という事を自分に問いかけてみる習慣が出来た。



後悔もいいもんだなーって思える様になりました。


あの後悔がなかったら、今も、何も気づかず、後悔する様な人生を送っているかも知れないと思います。



人気ブログランキング

 応援よろしくです┌○"ペコッ

  
    「幸せになりたい」をサポート♪「心技体」塾-bana