私が産まれ、母方の中では初の女の子の孫でした。


それはそれは、近所の方にも、祖父母にも叔父、叔母、従兄弟みんない可愛がられました。


父が仕事が続かない人だったので、母は私を産んですぐに働き始めました。


そして私は祖母に子守をしてもらっていました。


祖母は足が悪かったので、私を、おんぶしている時に、転びました。



そこに、たまたま「朝顔」の蔓をはわせる竹があったので、私はその竹で、顔を怪我しました。


その傷は、一生消えない傷になりました。


吸引分娩で、頭にも大きな傷があり、そこからは髪が生えて来なかった事と顔の傷で、女の子なのにーと母はとても気にしていました。


その二つの傷は成長するにあたり、私自身のコンプレックスとなるのですが・・。


父は、とても変わっている人で社会の常識とかがまりない人でいsた。


今は父は亡くなっていますが、私は父が大好きでした。


今でも尊敬していると言えます。


「自分の生き方を持っている人」でした。



いつも「信念」を持っていたのです。



私がそんなコンプレックスから立ち直れたのも、この社会から離脱した性格の父がいたからだと思います。



父は、顔に傷が出来ようが、髪の毛が生えて来なくても・・


「自分の娘は世界で一番!」って思ってくれていました。



私に「外見より中身を磨け」と最初の教えてくれた人でした。



この、「父の教育」が今の私を作り、こうして自分で事業をし、明るく幸せに暮らせているのだと思います。



もし、私が、この家庭環境でなかえらば、今の陽気な性格はなかったのかも知れません。


父はこう言いました。


「欠点は自分で探すものじゃない」


「その顔の傷や、頭のハゲが、どうなんだ?」


「生きて行く事にも支障がなければ生活していく事ですらも支障がない」


「なのに、お前は何に苦しんでいる?」


「何に不自由しているんだ?」


・・と。



思春期の頃は、こんな言葉を言われても



「うるせーーー」と反抗もしましたが。



今は本当にその通りだと思います。



「何もかもゴチャゴチャにして物を考えるな!」


も父の口癖でした。



「それはそれ!」


「これはこれ!」



「ミソもクソも一緒にするな!」



って。



若干、下品ですけど(笑)




小さな父の言動の積み重ねが私を人として大きく成長させてくれました。



そう。父が子供の可能性は無限大と信じ続けてくれたから・・




それだけだと思います。



信じてくれている人が居たから、どんな苦しみも辛さも乗り越えられたのだと思います。




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