空はどこから/猫の長靴 -89ページ目

空はどこから/猫の長靴

日記は苦手だけど、何があって何を思ったのか、あんまり分からなくなるのもねぇ(´Д`)
だからちょっとだけ、記録を残します。

旅情を掻き立てる歌って、ある。

例えば、昭和初期のこの歌
『アラビヤの唄』

砂漠に陽が落ちて 夜となるころ
恋人よ なつかしい 歌を歌おうよ
あのさびしい調べに 今日も涙流そう
恋人よ アラビヤの 歌を歌おうよ♪
 
――砂漠、タぐれ、寂しい調べ
恋人と「今日も流す涙」
なんだか、無性に『アラビヤ』に行きたくなる。


私のリアルタイム、高度経済成長期の曲だったら、例えばこれ
『有楽町で逢いましょう』

あなたを待てば 雨が降る
濡れて来ぬかと 気にかかる
ああ ビルのほとりのティー・ルーム♪

――田舎(田んぼの真ん中)で暮らしていた少年にとって、思い描く都会って、正にこれ。


『霧の摩周湖』―――は良く行った。弟子屈町に現場を持っていた頃、お客さんが来るたびに案内した。

霧にだかれて しずかに眠る
星も見えない 湖にひとり♪

実際、半分の確率で、何にも見えなかった。
バスガイドさんが真っ白な霧の中、声を張り上げていた。
「あの辺に中の島があるはずで……」



さて、行ってみたかった所――
横浜、港の見える丘公園

『港が見える丘』(昭和22年)

あなたと二人で来た丘は 港が見える丘
色あせた桜唯一つ 淋しく咲いていた
船の汽笛 咽(むせ)び泣けば
チラリホラリと花片(はなびら)
あなたと私に降りかかる
春の午後でした♪

幕末~明治期に変貌を遂げた、異国情緒の漂う港――と言えば横浜と神戸
この歌がイコール横浜、とは言えないが、モデルであることは間違いない。


↑この国際信号旗、ほら、『コクリコ坂』


↑この曲の後、名付けられた公園名。


↑「生麦事件」の後、フランス領事館がこの地に建てられ、軍が駐留した。
その遺構。
この公園の異国情緒の原点。
でも……これは短慮で起こした事件で日本が払った代償。
まるで領主様のようにフランスが丘の上を占拠した。


↑で、出現した「異国情緒」


因みに、戦後の建造物で、景観はすっかり変わっている。
港が……見えない

日本人はね、景観に無頓着過ぎるんだよ。
永年、「美しい風景」に恵まれてきたから、有り難みが薄いんだね。


でも、緑は綺麗だった。
良く保全されていて、清々しい。
「緑の見える丘」と言っても良いかもね。


↑ピッカピカの歌碑。何となく写っているのは、ファイミル夫妻。




↑「色あせた桜」がないと、歌のモデルと言えない。
で、見つけた――桜の老木が5本。



↑この歌の歌碑も見つけた

空も港も夜は晴れて
月に数ます船のかげ♪

氷川丸も見てみたいなぁ


その後、中華街ヘ
近所で馴染みの中国人の店より美味しい、とは思えない中華料理を食べ……
三国志ファンなら行かずばなるまい「関帝廟」



そして渋滞に巻き込まれながらもギリギリ間に合ったショッピングモール・トレッサ

「わるわる悪い女~♪」
を気取る可愛い娘ちゃん達。
そのミニライブを観て帰ったのだった。

関東(千葉)に住んでから、横浜は何度か来た。
でも、目的は全部、彼女たちのイベント――「旅」ではない。

「10月にも横浜でイベントあるんじゃないの?」と妻。
日帰りの旅など、モチベーション次第。
関東圏くらいは、せっかく住んでるんだから訪れなきゃなぁ~




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9月7日、山口淑子さんが亡くなった。
94才だった。




戦前、或いは大東亜戦争期の日本人って、何者だったのだろう、と考えることがある。

文献・映像で見る限り、誇り高い民族だったような気がする。
もちろん、アジア同胞への「名誉白人」気取りの迫害などは言語道断である。

集団でも個人でも、他者を貶めることで得られるプライドなど、決して認められない。

だが、その一方では、やはり民族としての誇り、祖国を愛する純情さはあったのだろうと思う。


1920年、中国に生まれた山口淑子は、当時の中国の慣習に倣い、父の親友、李将軍の義子となり李香蘭の中国名を得た。

その頃、後に命の恩人となるロシア人の少女と親交を深め、イタリア人の声楽家からオペラを習った。
この人からは、民族間の差別意識を醸成する背景は見えてこない。上質なコスモポリタンとして育った人なのだろう。


敗戦直後、『漢奸』の容疑で中国政府に拘束される。漢奸とは、日本に協力した中国人の売国奴のことである。
あわや死罪、という危機に陥ったが、先のロシア人の親友の尽力で日本人であることが証明され、釈放された。

中国人の名を騙り、数多くの日本の国策映画に出演した罪を問われた時、
彼女は中国人の名誉を傷つけた行為について、おのれの無知を恥じ、率直に詫びている。

帰国後、山口淑子の本名にて芸能活動を再開し、後に国会議員として国際親善に努めた。



↑李香蘭の伝記本。実家に置いてあって、今は手元にない



そして、李香蘭の代表作として思い浮かぶのは、満映(満洲映画協会)の大作ミュージカル『私の鶯(うぐいす)』


↑この本も、今、手元にはない。
だが、『私の鶯』についての記述で忘れられないー節がある。



――日本はこの戦争に必ず負ける。日本という国家は消えて亡くなるかも知れない。
だからこそ、日本人という民族は侵略戦争に明け暮れた蛮族ではない、美しい文化・芸術を持った民族だったのだ、という記録を残さなければならない。

日本の文化人が誇りを賭け、1943年に製作した映画、それが『私の鶯』である。

残念ながら、この映画のフィルムは現存していない。
だが、楽曲の音源は残り、CD化されている。
オペラ調の朗々とした歌声は、今も聴くことが出来る。








私は思うのである。
日本が真にアジアの解放を願い、アジア諸国を同胞として尊重したのなら、あの戦争は違う結末を迎えたのではないか。
日本一国は負けたとしても、植民地アジアは独立を勝ち取った。
日本はその功労者として、アジア諸国からの尊敬は得られたのではないか。

しかし、悪貨は良貨を駆逐する。
『国家』という組織は個人の理想を圧殺し、民衆を愚に流し、恥知らずなエゴイスト集団にしてしまうらしい。



人種や民族に優劣をつけることの愚かしさを知ること
無知ゆえに過ちを冒したら素直に詫びること

コスモポリタン、李香蘭=山口淑子はそれが出来る人だったのではないか。

李香蘭という名を持つことで、民族の枠を越えた人―――

それゆえに、波瀾の前半生を生き抜き、晩節を汚すこともなく、人生を全うすることが出来た人―――

私はそのような印象を持っている。




山口淑子さん、お疲れさまでした。
ご冥福をお祈り致します。


6月8日に誕生した新生DORive、お披露目から3ヵ月
みれにゃんをリーダーに、まだ どことなく、ぎこちない

そして今回、9月13日
ショッピングモール、アビタ長津田店でのジェンガイベント
みれにゃんが体調不良で欠席、急きょ二人での出演――
さち・れな、初めての試練。

観ているこちらも緊張した。




パフォーマンス後のジェンガ対決コーナーにて
緊張も緩んで、いつものファンにいつもの笑顔↓




私の定番、2階からの景色

ん?あいつ、あんなところにおるぞ?
の顔 ↓




2ショット
さっちゃんがジェンガを持ちたいと言ったので、このポーズ
ピンクのLOVEジェンガ、似合ってんなぁ


ちなみにジェンガ対決、この1分は長かった。

わしゃ手が震えてのう、手加減しておくれよ……
と、いつもの卑屈な戦法で勝たしてもらい、無事サインをゲットしたのであった。




さて、本題
さち・れな、二人のパフォーマンス

何しろこのイベントはライブの写真が撮れるから、今後のブログ用のストックに、とバチバチ撮った。



ブンブン行くよ~!



君のためにシート、空けているのに♪

『スピードクイーン』



心拍数に比例して~♪


感情は高まっていく♪

私はDORive持ち歌の中でも、ちょっとアンニュイな『DRive Away』が好きで、特にこのフレーズは歌詞も振り付けもお気に入り



そしてMCを挟んで『ギアスパーク』

何か 起こる ような~
気配してる~♪



緊張しているのは分かった。
でも、笑顔は絶やさなかった。
ふう~やりきった!
という充実感があった。




みれ姉さん!

妹たちのパフォーマンス、しっかり出来てたよ。
華やかで、カッコ良くて、盛り上がった!

まあ、トークはね……スマイルだけで乗り切った感があったけど。


考えてみれば、DORive――ドライブ――って、これ以上ないほど、コンセプトがはっきりしている。

華やかなビジュアルと盛り上がる楽曲。
そしてメンバーみんなが醸し出す柔情感(お人好しな感じ)

まだ、企業のイメージキャラとして使われていない、ってのが不思議な気がする。

セクオルの1ユニットからスピンオフして、このようなイベントに使われているのも、プロダクションがDORiveの売り方を考えている証拠だろう。



こういう明るいイベント会場での弾けるDORive!
早く次のチャンスがこないかなぁ~!

ね、みれにゃん!