例えば、昭和初期のこの歌
『アラビヤの唄』
♪
砂漠に陽が落ちて 夜となるころ
恋人よ なつかしい 歌を歌おうよ
あのさびしい調べに 今日も涙流そう
恋人よ アラビヤの 歌を歌おうよ♪
――砂漠、タぐれ、寂しい調べ
恋人と「今日も流す涙」
なんだか、無性に『アラビヤ』に行きたくなる。
私のリアルタイム、高度経済成長期の曲だったら、例えばこれ
『有楽町で逢いましょう』
♪
あなたを待てば 雨が降る
濡れて来ぬかと 気にかかる
ああ ビルのほとりのティー・ルーム♪
――田舎(田んぼの真ん中)で暮らしていた少年にとって、思い描く都会って、正にこれ。
『霧の摩周湖』―――は良く行った。弟子屈町に現場を持っていた頃、お客さんが来るたびに案内した。
♪
霧にだかれて しずかに眠る
星も見えない 湖にひとり♪
実際、半分の確率で、何にも見えなかった。
バスガイドさんが真っ白な霧の中、声を張り上げていた。
「あの辺に中の島があるはずで……」
さて、行ってみたかった所――
横浜、港の見える丘公園
『港が見える丘』(昭和22年)
♪
あなたと二人で来た丘は 港が見える丘
色あせた桜唯一つ 淋しく咲いていた
船の汽笛 咽(むせ)び泣けば
チラリホラリと花片(はなびら)
あなたと私に降りかかる
春の午後でした♪
幕末~明治期に変貌を遂げた、異国情緒の漂う港――と言えば横浜と神戸
この歌がイコール横浜、とは言えないが、モデルであることは間違いない。

↑この国際信号旗、ほら、『コクリコ坂』

↑この曲の後、名付けられた公園名。

↑「生麦事件」の後、フランス領事館がこの地に建てられ、軍が駐留した。
その遺構。
この公園の異国情緒の原点。
でも……これは短慮で起こした事件で日本が払った代償。
まるで領主様のようにフランスが丘の上を占拠した。

↑で、出現した「異国情緒」
因みに、戦後の建造物で、景観はすっかり変わっている。
港が……見えない

日本人はね、景観に無頓着過ぎるんだよ。
永年、「美しい風景」に恵まれてきたから、有り難みが薄いんだね。

でも、緑は綺麗だった。
良く保全されていて、清々しい。
「緑の見える丘」と言っても良いかもね。

↑ピッカピカの歌碑。何となく写っているのは、ファイミル夫妻。

↑「色あせた桜」がないと、歌のモデルと言えない。
で、見つけた――桜の老木が5本。

↑この歌の歌碑も見つけた
♪
空も港も夜は晴れて
月に数ます船のかげ♪
氷川丸も見てみたいなぁ
その後、中華街ヘ
近所で馴染みの中国人の店より美味しい、とは思えない中華料理を食べ……
三国志ファンなら行かずばなるまい「関帝廟」

そして渋滞に巻き込まれながらもギリギリ間に合ったショッピングモール・トレッサ
「わるわる悪い女~♪」
を気取る可愛い娘ちゃん達。
そのミニライブを観て帰ったのだった。
関東(千葉)に住んでから、横浜は何度か来た。
でも、目的は全部、彼女たちのイベント――「旅」ではない。
「10月にも横浜でイベントあるんじゃないの?」と妻。
日帰りの旅など、モチベーション次第。
関東圏くらいは、せっかく住んでるんだから訪れなきゃなぁ~
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