今年の夏バテも終わった。
気がつけば行楽の秋――行ける内に行かねば、行きたい時に行かねば――で、行った。
仏像を拝みに……

大仏さまと善男善女(笑)
千葉県民でありながら、千葉はさっぱり観光していない。県民意識が低い。
私は東京から川を渡ってすぐの処に住んでいる。
チーバくんでいえば鼻の下である。
今回目指したのは足の付け根である。

千葉県富津市、鋸(のこぎり)山と日本寺。
まずはロープウェイで山頂に

展望台脇で見つけた猫

何だか古書の挿絵から抜け出して来たよう――
見事に和猫
のこぎりの壁の合間、参道を渡って、やがて姿を見せる「百尺観音」――
そして遥かに見えるは「地獄のぞきの岩」

参道を行き、次々と現れる岩窟、そこに並ぶ仏と羅漢(仏弟子)

そして維摩(ゆいま)さん。
維摩居士は仏法を説いたが「在家(出家していない=僧侶ではない)」、市井の長者である。
同じく、出家していない仏教信者、聖徳太子の憧れである。
居並ぶ羅漢、何想う

その台座には寄進者の名前。
像に託す祈りとは何だったのか?
そして壊れた、首のない石像も累々と

諸行無常もかくやと思わせる。
寄進者の祈りは届いたのか、虚しく潰えたのか
どちらであっても、今は昔――
色(形)は留まらない
行(想い)も留まらない
理屈で分かったつもりでいても、心が拒む無常感
――「今」がなくなってしまうこと
それをどうだ、頑迷をコジ開けんとするかのように、祈りの骸(ムクロ)を見せつける。
そこにはまた、想いはやがて無機質になる、という諦め、清々しさもある。
圧倒的に大きなもの――空間的にも時間的にも――
それはちっぽけな人間にとって―――
と、
書こうとして………
止めた
何だか小賢しいや……
「言葉」じゃないよね
この鋸(のこぎり)山、先日、このコ達がチバテレビ『ジェンガの達人』のロケで訪れている。

私もここに立ってみた。
そして叫んだ。

私が何を想い、何に迷い、何と叫んだのか?
それは―――
知る人ぞ知る
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