わざわざ出かけて行って、つまんない映画だった時は目も当てられない
入場料って、一種の投票券だと思う
だから支持できない映画にー票を投じる(興行成績にカウントされる)のは嫌だ
今回、迷わずー票(妻と合せて二票)を投じるつもりになった映画
東宝『杉原千畝――スギハラチウネ』

外交官としてヨーロッパに駐在していた杉原は、ナチス支配下から脱出するユダヤ人のために、大量のビザを発行した
指が震えるまでサインをし、転属先へ向かう列車の中でもビザ発行を続け、
最後に「ごめんなさい、もう書けない……」
救いを求めるユダヤ人に詫びた
これにより、ナチスから逃れたユダヤ人は6千人を超えるという
別名、日本のシンドラ一とも呼ばれる
ただ違うのは、杉原は自己の良心――意気地――に基づいてビザを発行した
そして帰国後、外務省を追われることとなる
これが、かつてテレビのドキュメンタリーで観て、私の記憶にあった内容
なぜ、この人物を映画化しないのか、と思っていた
だから、この映画は私にとって、当然観るべき映画だったのだ
この人物像に私が重ねるイメージは「エリート」
エリートという言葉は、いつから汚された言葉になってしまったのだろう
出世欲と保身に終始する頭の良い俗物、現代の特権階級?
明治時代は違った、と司馬遼太郎は書いていた(うろ覚えだが)
それは『坂の上の雲』を読めば明らかだ
同胞のために身を粉にして人事を尽くす人――それゆえに権力を付託されている、それがエリート
そして、我が身可愛さの言い訳はしない、それが明治生まれの日本人の気骨だったんだ――
と妻に言ったら
「どうせそんな人、一握りでしょ?」
一握りでも……いたんだよ!
だからこの映画を観なくちゃいけないんだ
私がまだ若い頃、知り合いを訪ねて某官庁の独身寮に行ったことがある
その食堂で若い役人達の大いに盛り上がっていた話題
「今度の○○でさ、△△部長の昇進はなくなったぜ」
「マスコミに捕まったからなあ」
「次は◇◇さんだな、何もしなかったのがラッキーだったな」
「しなかったんじゃない、出来なかったのさ(笑)」
こんな連中に税金を使われるのは嫌だな、と思った
これは近年の話
とある高級官僚を含む少人数での会食があった。居酒屋の小上がりである
メインの来客は遠方からシンポジウムに参加した某村の村長
和やかな歓談も終わり、村長が席を立とうとした時――その官僚は正座で額を畳に付けて言った
「本日はお越し頂いてありがとうございました」
この人は傑物だ、と思った
public servant――公僕――の精神は潰えてはいない
さて映画『杉原千畝』
この映画にエリートという言葉は出てこない。しかしその心得として、次の言葉が語られる
「自治三訣」――
人のお世話にならぬよう、
人のお世話をするよう、
そして報いを求めぬよう
安易に感動を煽るようなら嫌だな、と思っていた
しかし戦乱シーン以外は、概ね淡々と描かれていた
静かな決意、静かな救済――
そして静かな場内のあちこちから、啜り泣きの声が漏れていた
私はこの映画をお勧めする
かつて「美しい日本人」は紛れもなくいたのである、それを再認識するために
今は?――それは分からない。いたとしても、それが世間に知られるのは数十年後のことだろう
「美しい人間」は虚栄の人ではないからである
▽▽▽▽▽
おまけ
最近、BSテレビでこんな映画を観た
1949年、山本嘉次郎監督『風の子』
小学生の綴方を原案に、疎開場所で苦難の生活をおくる家族が描かれている
そのワンシーン

叔母さんが近所の子ども達を集めて紙芝居を見せている――
「日本が、あのイヤ~な戦争をしたというのも、みんなが政治を他人まかせにしていたからなのです
だから皆さんは、政治をよく勉強して、自分の政治を自分の手でやって、もう二度とあんな戦争が起こらないようにしなければなりません」
これが敗戦の4年後に映画が発したメッセージ
ああ、日本人よ……



















