空はどこから/猫の長靴 -2ページ目

空はどこから/猫の長靴

日記は苦手だけど、何があって何を思ったのか、あんまり分からなくなるのもねぇ(´Д`)
だからちょっとだけ、記録を残します。

巷に雨の降るごとく  我が心にも雨ぞ降る

――ヴェルレーヌの詩である。でも間違って覚えていた
正しくは「我が心にも涙降る」
ちょっと違うな、と思う。雨≒涙 ではない
「雨」が伝えるニュアンスはもっと広い
だから心に降るのは雨、いろんな雨だと想像したい


学生時代、私はサークルで雨○という名前を使っていた
私は「雨」の語感が好きだった
因みに妻とはその頃知り合ったから、彼女にとって私は地味で冴えない「雨○クン」だった


「ファイミル」を名乗るようになったのは、アメブロで さちこを初めとする姪っ子たち(私の好きな若いタレントさんたち)にコメントをするためだった
愛猫ふぁい と みる の名前をくっつけて作った

愛猫みるが空に昇った日、私たちは骨を安置した仏壇に手を合わせて、般若心経を唱えるようになった
そして、ふぁいが空に昇った日、私はブログを書き始めた

ブログを書くに当たって、アメブロを選んだのは、さちこ達がこのアプリを使っていたからだ
アメブロは芸能人のユーザーが多いことで知られているが、私は芸能人には特に興味がない。いわゆるネットサーフィンとか、芸能人のブログチェックとかはしたことがない

さちこが芸能界から存在を消され、アメブロの記事もなくなった今、私がアメブロにこだわる意義もなくなった


ブログには、出来るだけ明るい話題を綴るように心掛けてきた
一応「公開」という形式をとる以上、世間に害意や中傷をバラまくものであってはならないと考えたからだ

人それぞれ、考え方は異なるだろう。胸の中の苛立ちをブチまけたい、という人を悪く言うつもりはない
でも、私のブログを読んでくださる「誰か」には出来るだけ不快な思いをさせたくない
それが私のブログ作法、美意識であった

そして事件の後――私のブログのURLがネットに貼り付けられ、大勢のデバガメの眼に晒されていることを知った――私の記事を見て、彼らの下劣な興味は満足したのだろうか

私のブログは何のための記録だったのだろうと思った
害意を広げまいと注意しながら綴った言葉たち――それはただのゴミの山だったのか


私のブログは誰に向けて書かれていたのか
まずは自分の為、何しろ日記ブログなのだから
そして好意を持って記事を開いてくださる方々――多分、10人は超えないだろう――に向けたメッセージ

正直に言えば、欲もあった
多様なネタを語りながら、姪っ子たちのことも語る
さちこを大切に思うファンとはどんな人間なのか
アイドルオタでもない私の生活に影響を与えた「さちこ」とはどんな娘なのか
それを不特定多数の人に知ってもらいたかった……



今回を以て、私のアメブロは中断します

でも、ファイミルが生きるのを辞めたわけではない

アプリを変えて、私のブログ日記は続けるつもりです
わずかな読者の皆さま、よろしかったら今後ともお付き合いを……
8月15日、久し振りの愛猫ブログ

まずはサムネイル代わりに――
六花亭の袋がお気に入り
おめぐの「アタチの陣地だぞ~」ポーズ


さて――
散歩オタのファイミル夫妻、休みの日はいつも何処かを歩いている
とはいえ、この季節、カンカン照りの真っ昼間に外など歩けない。寒冷地仕様の道産子、熱暑で溶けてしまう

早朝、家を出発して、午前中に帰宅、昼過ぎにはシャワーを浴びてー杯のビール、そしてエアコンを効かせた寝室に避難――というのが理想型

とは言え、手ごろな場所は行き尽した感がある
「公園がいいな、どっかに大きな公園ないかな?」
「大町公園って、けっこう大きいらしいよ」

で、歩くこと1時間半
あれ?動物園に着いたよ……公園どこ?
おかしいな、この辺だよ
ファイミル夫妻、相変わらずノープラン

大町公園は動物園・植物園・アスレチックコースを含んだ自然観察公園の総称
――広いはずだよ


歩道の入ロに謎の物体

なんだか諸星チック、邪悪なウサギがお出迎え


だから舗装は嫌いなんだ
大地が窒息している、木根の悲鳴が聞こえそうだ


ところが、そこから先の遊歩道、日蔭たっぷり、これが快適だった


水辺がきれい、木陰の歩道は程よく苔むしている

いいね、此処。当たりだねえ。
と話していたら

え?

今日、お盆だよね……
愛猫ふぁい・みるの導きかな
二人で慰霊碑に手を合わせる
「ふぁいちゃん、みるちゃん、お盆ですよ、会いに来てください」「化けて出ても構いません」
そしていつもの般若心経を唱える
「帰ったらお花をお供えしよう」
「花なんか喜ばないよ、マグロの刺身さ!」

慰霊碑のそば、水の流れがきれい
つい、水辺に近づいたら……
滑って転んだ

証拠の写真
「とんだ禊ぎになったなあ」
「ふぁい・みるが厄落とししてくれたのよ」
「厄ってなんだよ」

木道、じゃないのが残念
湿地のコンクリ道を辿る

ミソハギ、ツユクサ、スズメウリが咲いている
動物ではシオカラトンボ、茶色いカマキリ、なぜかスマートだったカエル

ヒト科ヒト属もポツポツ見かけた
でも、まだ時間が早い、そんなに多くない

小学校低学年くらいの男の子を連れたお父さん
「ほら、オニヤンマだよ」
そしてヤブを指差して
「メジロがいるね、あれはヒナだ――1.2.3匹」
このお父さん、動植物がやけに詳しかった
男の子は素直に頷いて聞いている
情操豊かなヒトに育つだろうなあ
……気がついたら、妻がちゃっかり隣に立って説明を聞いていた


お日さまが高くなってきた
もうカンカン照りの国道なんか歩けない
大町駅から電車に乗る

家の近くで約束通りお供えを仕入れる
ふぁいが生涯、一番好きだったマグロの刺身

還っておいで、ふぁい と みる


おまけ――
最近の家庭内野良

暑さのせいもあるけれど、コイツら、寄り添う姿はほとんど見かけない
単品で床にポトンポトンと落ちている

3匹一緒に写せるのは稀
ある日、2階に上がったら――
なんだ?
このビミョーな距離感
8月11日、祝日制定後、初めての山の日
行き先は高尾山

近頃ハマっているオタ散歩
登山編は筑波山に続いて2回目
前回、妻は岩場で転んで膝がパカンとなったから、これはリベンジのつもりらしい

「山の日記念」で作られた、薬王院の道中お守り。お揃いで買った

「へえ、811個限定ですか」と言ったら
「お守りは神仏と同じだから、811体って数えるんですよ」と売店のおじさんに注意された

高尾山は霊山である
「天狗の腰掛け杉」
参道に居並ぶ大木
その中で最も大枝が張り出したスギ――
天狗様はその枝に腰掛けて、我ら衆生を見下ろしているらしい

その近くに「たこ杉」がある
これは参道を開設する時、盤根が邪魔だからと伐られかかった杉が、一夜にして根を後ろに曲げた、という伝説による
その根の形が蛸の足に似ているから「蛸」スギ

でも、参道を見渡すと
次々と現れるタコ足の木

これは、こういうことではないか、と考えた――
参道を掘られた後、支えを失った法面側の土壌が流れ出し、根が露出した
根は何とか土に潜り込もうとして行き場を探し、斜面上へと伸びて行った

でも、もはや大地を掴むことは叶わない
これらの木は、やがて根の下が空洞化し、危険木として伐採される
それは何年後、或いは何十年後のことになるだろう


一方、小さな植物――
こんな季節にアジサイ?と思ったら
これは「玉アジサイ」

実のような丸い玉がぱかんと割れて、中から薄紫の花弁がこぼれ出る

レンゲショウマも花盛り

厚ぼったい蓮華の花弁、既にぼんぼりのような赤い実もつけている

ヤマに入ると、いつも探すのは樹木の赤ちゃん

イロハモミジの稚樹、四つ葉になってる


登山道6号線、一番の難所

沢の中の岩場を登る
妻はこの辺で息が上がる
中高年からの山登り――この先、本当に続けるなら、登山用のストックを買わなきゃなあ

仕事ではスパイク地下足袋を履いている私、スタミナは妻の倍もあるけれど、ゴム底の登山靴が滑って歩きづらかった
木材を使った「簡易路面排水溝」

斜面を流れる雨水を誘導して、路肩に落とす
その木材がやけに光沢があって「あれ?擬木?合成樹脂?」と思った
水に浸され、ゴム底に踏まれ続けることで、こんな艶やかになったのだろう


登山道から山頂を経て薬王院へ
それが今回のルートだった

薬王院の境内では、至る処にこの石柱が立っていた

「ざんげ ざんげ ろっこんしょうじょう」と唱えながら、中に填まった円盤を廻す


懺悔 懺悔 六根清浄――

六根とは、人の五感と意(心の動き)
懺悔とは、それが貪り・怒り・愚痴に陥らないようにと願うこと

本来、神仏への祈願とは
自分がラッキーでありますように、と都合のいいことを頼むことではない
自分はこう成りたいのです、だから精進(努力)致します、と神仏に宣言することなのだ

ある高僧にこんな逸話がある
「悟りの道に至る秘訣とは何でしょうか?」
「他者を騙らず、身を正して日々の生活を送ることじゃ」
「?、そんなこと、5才の子どもでも知っています」
「誰でも知っているが、それが出来ている人間は滅多にいない」

自身を振り返ることなくして、苦から抜け出す道などない


だけどそう考えてみたところで――
やっぱり、貪り・怒り・愚かしさにまみれている
抜け出せない、というより……抜け出したくないのである

散歩オタの私は、神社やお寺を見つける度に、家族の健康と あのコ の幸せを願い続けてきた

その願いが実らないのは、私の祈りが不浄なのか
まだ時が満ちていないのか……

愛染明王に祈る――

あのコが清い心で、自分と周りの人々との「幸せ」を分かち合える子になりますように

かつて、そしてこれから出会う人々との「良縁」に恵まれますように